人生を決める要因としては、私は四つあると思っている。
1つ目は神仏にしか、わからない、神秘的な事。
2つ目は、もって生まれた宿命というもの、
3つ目は他との出会い
4つ目は自分の努力
我々人間はなんでも、見通すことが出来る、神仏でないから、1つ目はわからないし、お任せするしかない。
2つ目の宿命は、例えば、オギャーと産まれた時には誰もが丸裸だが、次の瞬間から、親族の資産によって、
絹の産着とボロの産着をまとう事になる。 これは自分ではどうしようもない事ですが、
自分が変われば、運命も変わり絶対的な事ではありません。
私が大事にすることは、3つ目の出会いと努力です。
まず出会いですが、人生の人との出会いの中には、必ずしも、自分の考えに味方してくれる人ばかりではありません。
時には自分を追い落とそうとし敵対してくる人もいます。 そうした人であっても、付き合わねがならない現実。
仏教では怨憎会苦(おんぞうえく)といって、字の如く恨むほど憎らしい人との出会い。
お釈迦様の教団に対して、従妹の提婆達多が仏陀に危害を加えて教団を分裂させようとしたり、言葉巧みに王子を
引き入れ、父の王様を幽閉させて、仏陀に対し、反発しました。 それに対して仏陀は、けして提婆達多に対して恨みの心や
憎たらしいと思うような事はなく、提婆達多は前世では自分の師匠だったと、仏陀は言われます。
日蓮聖人は現代語に直していますが、下記のように言われています。
釈尊は「我が命を狙った提婆達多こそが、自分に悟りを開かせてくれた第一の恩人である」と、感謝されている。今の世間を見ても味方よりも、むしろ強敵が人を成長させるものである。(中略)いま日蓮が仏になる第一の味方は、この日蓮を殺害しようとした東条景信、法師では良観・道隆・道阿弥陀仏、そして平左衛門尉頼綱・北条時宗公で、もしこれらの人々がいなければ、到底、法華経の行者となることはできなかったであろうと悦び感謝している。
法華経では、仏陀が命を狙った、提婆達多に対して、感謝をしている。
日蓮聖人も、自分の命を狙ったり、追い落とそうとした、頼綱などが、いなければ、日本一の法華の行者になれなかったとむしろ
彼らに対して感謝をしている。
方人が教えてくれる。 嫌な人とも付き合わなければならない、世間。至らない自分によくぞ言ってくれたと、自分も反省し、大きな心で受け入れる。 そうした努力が実った時。 あの時、敵対してくる人がいたから、今の幸せな自分がある。 方人よありがとう と言えるような、人生を送りたい。
好きで一緒になったのに、 怨憎会苦 に陥っている夫婦も多い。
介護に疲れたり、自粛生活で夫婦や家族が喧嘩になる事も、在るかもしれませんが、まずは自分が大きな心で受け止めて、幸せになってください。
合掌
