基本的に仏教はこの世が苦しくて辛いから自殺するような、自死はさらに苦しみの世界に生じる様です。
仏の教え、法を守るための自死や、他の命を生かすために犠牲による死に対しては、良いところに生じるといわれます。
溺れている人を助けるため、無我夢中で飛び込み、自分が死んでしまった。 こういう方は、良いところへ生まれるらしい。
家族とも離れた出家者で阿羅漢という悟りに至っている人の自死についても、悪いとは言わないが、仲間の僧に対して止めるべきだとする。
尊厳死にしても、医者が毒物を与えれば、医者自身も一生苦しむ。 麻薬を使って、肉体が痛まないような処置しか現状ではないようだ、
闘病生活で、肉体や精神の苦しみから、離れる為、自死を選ぶ人もいると思うが、死んだら何もなくなるとは、仏教では断見とされます。
仏陀によれば、
そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、
楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、
死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、
大きくて深い苦しみである。
そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」
そして釈尊は、
すべての人に、後生の一大事のあることを、諄々と教えられた。
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娑婆世界は修行の道場、 途中で投げ出してはいけない、
