仏典には、
仏国土に婦女子(女性)はいない」(法華経・五百弟子受記品)
 と書かれています。仏の国である「浄土」に、女性はいないのです。

久保有政

 

 

この方はキリスト教の先生なのでしょうが、目についたので、反論をしておきます。  

 法華経・五百弟子受記品は、八番目の経で声門、縁覚などの2乗の人たちを菩薩道に導き三乗すべて一仏乗に導くための仮の教えです。 

 

先に示した女人成仏は法華経の12番目の経です。

 

多くの大乗経、法華経の前半14品までは、時間的には三世の仏があり、空間的な宇宙には十方の諸仏が存在し、皆平等の悟りに住していて、それぞれ、担当する世界が決まっているとされていた。  

 

ところが、法華経の後半の寿量品において釈尊の本体は数多くの諸仏を統一する久遠本仏であると、自ら明かされた。 さらに地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、などの形にもなって、あらゆるところで教化救済していると説かれます。  みんなは、この地球世界は苦しみの世界で救われない穢土だと思っているかもしれないが、本当は地球の娑婆も即寂光土 なんだよと説かれています。  

 

衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり (一生成仏抄)

 

 

 

久保氏は【人間は神に創造されたもので、永遠の昔から存在していたものではなく、現在の私たちの生も初めての生であって、前世と言うようなものが、あったわけではありません。  輪廻転生説は信じません。】 といわれる。

 

信じないのは、信教の自由ですが、仏法の方便的なところをもって、指摘するのですから、説明をしておきます。

 

 様々な違いや場所に生を受ける理由について、因果を説く仏教は過去世の心構え、行いによって、それぞれ異なる条件、環境の下に生を受けたととらえます。

 

もし生まれついての差別が神の計らいならば、キリストの神はなぜ不公平な所業をされるのか?

差別が偶然だというのなら、因果の道理がない事になり、善行に善報なく、悪行に善報が現れる場合が出てきて、信仰も道徳も無意味になる。

 

仏法は道理です。   仏教での神様は仏法を実践する人の、守護神です。 

 

合掌