法華経に、万物構造の原理として「十如是」が説かれています。「方便品」に、「仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃(いま)し能く諸法の実相を究尽したまえり。」とあります。釈尊が甚深難解の法として説かれた「諸法実相」、すなわち宇宙間の全ての自然現象たる万物は、どのようにして創造され、絶えず変化しつつ向上し、また向下するか、その妙理法則を説明されたのが、「十如是」であります。「所謂諸法・如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」とあるように、如是が十ありますから「十如是」と呼んでいます。「如是」とは、ありのままということで、法則にかなうという意味です。
十如是とは具体的にどういう事かを私なりに説明します。 姿(相)形(体)があれば、どのような物でも、名前が付きます。例えば山口百恵さん。 姿形があれば、すでに(性)という百恵さん特有の性質が内在しています。 内在したままなら、それだけの事ですが、この百恵さん特有の性質が外に向かった時(力)という(作)という作用が働き、それが(因)となり(縁)を介して(果)(報)となる。 百恵さんのルックス、歌声、により、ファンを劇場に運ぶという果を産み、百恵さんも報いをうけ、自分自身もさらに成長する。 ファンもまた、百恵さんの影響で生き方も変化する。
最後の本末究竟等は相如是から本末究竟等までは、それぞれが別々にあるわけではなく、一つだという事。
人だけでなく、物にも言えます。 たとえば、マイク、姿、形(相)(体)があれば、マイクという名前が付きます。 音を拾うという(性質)が内在しています。 内在しているだけでは、それだけの事、電気やアンプを(因)(縁)介して音を増幅する(力)の作用が働きで、人に話すことで果そして報いがおきる。それらは別々にあるわけでなく、一つ。
コロナウイルスという名前がつけば、電子顕微鏡でしか見えない、姿形の小さな病原菌だが、自分からは増殖できないという性質がある。
人や動植物を介して、ウイルス特有の力を発揮し動物に作用を与える。 多くの森羅万象は絶えず別々にあるわけではなく、具わり合って変化している。
諸法実相は仏陀の悟りの妙法です。
