一切の業障海は。皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば。端坐して実相を思え。衆罪は霜露の如し 

 

昨日義妹夫婦が自粛の合間に久しぶりに婆に会いに来てくれました。  認知力も、しっかりしていて、問題はなく

とても喜んでいました。 子供たちが幼いころのビデオをCDにして、持ってきてくれました。 

 

信仰熱心だった婆の総本山、身延山久遠寺参拝のビデオも見て 皆若かったなという感じで楽しく見ました。

 

昨年は、病院から施設を考えたけれど、婆の家に帰りたい一心から、ベッドから転倒するのを避けるため、胴体拘束をしていたせいか、どうしても施設が決まらなかった。 

 

そんな中、会社の一部を使ってもよいという話で、急遽ベッドだけ持ち込んで、婆を退院させ、住居が出来るまで、片づけなどで大変だったが、やりぬいた。  今考えると、婆を施設にお願いしなくてよかったと思う。 子供たちから、婆の事を、あんなに信仰していたのに、なぜと思われていたが、、 今までと変わらぬ家族との幸せな生活をみれば、やはり、信仰はすごいと思ってくれるかもしれない。 いくら口で法華経はありがたいよ、と勧めても、わかる人は少ない、自分たちが信仰のお陰で幸せな生活を見せることが一番早い

 

 日蓮聖人は、首をはねられそうになった土壇場でも、道は開け、日本一の法華経の行者として、さらに強く生き抜かれた。

 

山は頂上に近くなれば、険しく厳しくなるが、登頂すれば、景色が素晴らしく、達成感が強くなる。 法華経を信仰すれば、地獄の窯の蓋が開くように、次から次へと、関係する業を見せられる。 それを一つ一つ法華経によって、片づけてゆく。

 懺悔、 罪障消滅で心を磨く。 

 

(信)じるところ 法華経(仰)ぐところ 釈迦牟尼仏  南無妙法蓮華経