宮沢賢治はアインシュタインが日本に来た時、相対性理論で時空の話を聞いて、そのような事なら、妙法蓮華経に書いてあると、おとぎ話のような、法華信仰を貫いた。  賢治の多くの作品も、法華経に絡む物語です。

 

アインシュタインによる「私と宮沢賢治」


 

 上の式は時空世界での光の伝わり方を表したものである。賢治はこの世に私より遅れて生を受け、私より早く立ち去った。たった30数年の、駆け足のような一生だった(1896~1933年)。だが、時間は相対的なものだ。地上の時間の長短だけが絶対的なものではない。「双子のパラドックス」[注1]ではないが、イーハトーブの銀河を旅した彼はもしかしたら私より長寿だったのかも知れない。
  • [注1]長い宇宙旅行をした双子の兄と地球に残った弟では、どちらが年上になるかという問題。


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 短い生涯の彼にとって幸いだったと思うことは、1945年の史上最大の厄災を見なかったことだ。私は見てしまった。それどころか私は、原子爆弾の可能性を理論的に示し、その結果、ナチスドイツに原子爆弾の製造を思いつかせてしまった。そしてそれを知って、アメリカ合衆国のルーズベルト大統領に原子爆弾の開発を急がせる書簡を送りつけさえしたのだ。生涯最大の過ちであったと悔いているが、今さら詮なきことだ。それはさておき、賢治と私とのささやかな関わり合いをここに記しておきたい。
 
  • 私も賢治も美しい世界を信じている

     賢治が私の「相対性理論」を知っていたことは間違いないだろう。「四次元」という言葉が彼の「農民芸術概論綱要」などに見出せる。ただし、この一語をもって、そう言うわけではない。彼の詩や童話、とりわけ「銀河鉄道の夜」の時間と空間が溶け合った記述に私はそれを感じるのだ。そして私は彼の書き物に、私の物理学というより、私の神への信仰を重ね合わせる。私の科学は私の信仰告白に他ならない。私がもし科学への貢献を成し得たのだとしたら、それは神は世界をきっとこう造ったであろうということを数学的に演繹したにすぎないのだから。同様に、賢治の詩と童話は彼の神、つまり仏は世界をこう造ったであろうという信念から出来ている。私も賢治も美しい世界を信じているのだ。
     
    • 農民芸術の綜合
      ……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術を創りあげようではないか……

      まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
      しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
      ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
      青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
      「つめくさ灯油ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
      雲をもどよもし[注2]夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ」
      詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
      われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
      巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
      おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
      • [注2]「どもよし」は「響動よし」で、「どよめく」の他動詞。


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      「農民芸術概論綱要」より

  • ユダヤ教と法華経のコスモロジー

     私の神とはユダヤ教の神である。私のユダヤ教の神とはコスモス(宇宙)の秩序であり調和である。スピノザはユダヤ教の神をコスモスそのものだとしたが、これは宇宙の何一つ、神に基づかないものはないという意味だ。私が言いたいことも、宇宙は神とともに呼吸しているのだということなのだ。賢治の仏は宇宙に遍(あまね)く生命の神だ。万物は溶け合っており、生命の深い次元では鉱物も植物も動物も等しく共存し、見える世界ばかりか見えない世界も通底している。おそらくそういう世界への旅が「銀河鉄道の夜」の物語なのだ。