兄は私と違って、誰からも好かれるような人だったが、2か月前の健康診断では異常がなかったが、
お腹の調子が良くないという事で、病院に行ったら大腸癌が見つかった、51歳、私が49歳の時です。
入院したばかりの時には、何で俺が、こんな病気にかかるのだと、病気に対して否定的です。 手術をしたが、すでに癌が体中広がっていて、摘出はできず、便をお腹から絞り出すような、穴が開いてだけで、そのまま縫い付けた。 このとき余命半年ぐらいと、私は医者から聞かされた。 いくら、余命を隠しても、病院に入れば、すぐに、お仲間の患者さんや。使っている、治療薬の薬で、自分がどういう状態になっているかは、入院患者は、わかるようだ。
今は世界中で多くの良い薬が開発されているとし、自分が癌で死ぬなんて事は、まだ考えられず、多くの文献や治療方法をあさっていた。
そのうち痛みが出てくる。 主治医から外出の許可をもらい、会いたい人がいる、北海道に奥さんと子供で家族旅行をした。 良かったと思う。 病院に戻ってから、さらに痛みがひどくなり、 多分主治医がモルヒネなどの麻薬を使ったのだろうと思われる。 分量がうまくいかなく、ベッドをひっくり返すこともあったようだ。
それでも、まだ死を受け入れない。 起き上がれないようになると、すぐに足のかかとに床ずれが出来た。 お腹が膨れ、栄養失調の状態。 やっと、自分の死を覚悟し、落ち着いてきた。 私は短い間だったけれども、好きな事を結構したんじゃないと言って、納得させ。 そして、肉体は死んでも終わりではないという話を聞かせた。
葬儀の時に、娘が遺体にしがみつく姿をみて、私も早死にして悲しみを家族にさせないように、しなければと思い、 兄と同じヘビースモーカだったが、兄の死で、禁煙にやっと成功できた。
伯父なども若くして亡くなる癌系統で、この年まで自分でも長生きするとは思わなかったが、子供たちも独立し、何も心配はない、一日でも婆を先に送り出す事だけ。
いきなりコロリでは、家族も戸惑う。 痴呆症で迷惑かけるより、痛み止めのモルヒネを使っても、最後まで思考がしっかりし、尊厳を見せれる癌は、私には、むしろありがたいかもしれない。
人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つことなし。風の前の露、なお譬にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。 されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。
家族に見守れながら、皆のお陰で楽しい人生だった、ありがとうね。 と元気よく旅立つ。
