良い事も悪い事もしてしまうのが、人です。  人の心の中にも下は地獄界から餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、声聞界、縁覚界、菩薩界そして仏界までの十の境地が備わっています。 

 

人の地獄界という世界がどうやって、、心の中に現われて来るかというと、毎日の生活においての怒りの心です。

他人の言う事や働きが、自分の心に合わず、いつも不平・不満・不足の念を感じて、何故、自分だけこんな不幸な境涯なのだろうと考え、次第に瞋の念が沸き起こり、瞋りの想念から、心の中に地獄を出現させてしまう。

 

かと思うと、人の心は地獄や貪りの餓鬼の心だけでなく、 時には悲しみ苦しんでいる人の生活を早く立ち直って欲しい、少しでも幸せになって欲しいと願う、慈悲心があります。  震災などで、悲しみ苦しんでいる被災者に寄り添う心が慈悲の心です。

 

この慈悲心から、少しでも、人々を楽しい生活の送れるようにしてあげたいという想いが出来てきます。このような決心や覚悟で、自分だけでなく他も共に救われていこうと行動できることが菩薩道です。 

 

「願わくば、 この功徳をもって あまねく一切に及ぼし 我らと衆生と 皆 共に仏道を成ぜん」 

 

 自分だけ悟れば良いという教えは大乗仏教にはありません。  イスラム教徒やキリスト教徒であっても、どこの宗派であっても、 人には地獄から、仏界までの心が備わっている。  仏教の教えを少しでも取り入れ、現在私たちが生活する地球世界を浄土にしなければならない。  穢土も浄土も私たち一人一人の心の内にある  

 

悟られ仏陀となられたお釈迦様にも地獄界から、仏界までの心が備わっています。 仏様に地獄や、餓鬼の心が無ければ、私たち迷いの衆生を救う事はできない。   ようするに、如来と私たちは持っている心は同じです。 何が、違うか、如来は迷いの心を悟りの心に変えて娑婆世界で実践する。  

 

合掌