キリスト教の聖書に、 あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならないとある。  イエスは,神を愛することとともに,この隣人への愛こそもっともたいせつな戒めだと教えたとされる。

 

世界の宗教はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が多い。 これらの宗教は元の神様は同じだといわれるなのに、果てしなく争いがつづく。

 

一神教のキリスト教徒により、アジアやアフリカ、中南米も皆植民地化し搾取してきた歴史があり 今も人種差別などの根源になる。 未だにイスラム諸国と対立する、 人類愛は? 

 

 

人は無明だから良い事も悪い事もしてしまう 人間だけでなく、同じ衆生として、人だけでなく、動植物の命にも思いやるのが慈しみの心という慈愛が仏教の教えです。 

 

愛ならば動物にもある。 わが子であっても、愛に執着すると、取が生じ、それが有になり、自分のもの として挙句の果てには、自分はこんなに尽くしたのにと、泣きごとの愚痴が始まる。   愛だというなら、最低償いを求めない、無償の愛しかない。

 

凡夫ですから、 お釈迦様のような、時間的にも空間的にも広い大きな心で物事を観ることができない。  すぐに自他の差別をしてしまう狭い心

他の幸せを良かったねと一緒に喜んであげられなく、嫉妬したり、逆に他の人の不幸を 、ざまーみろと優越感を感じる差別心や時には恨みを持つ。、

 

涅槃経に 「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」

 

お釈迦様は衆生の苦しみや悲しみは自分一人の悲しみや苦しみとされ一切の衆生に対し、慈悲の心を持たれた。 

 

私たち凡夫も仏を目指して、光り輝く魂になるよう。肉体を背負って修行をしている。 死んでから成仏するのではなく、生きているときに

成仏を目指すのが、仏道修行。 亡くなられた人を仏さんというが、亡くなった方への思いやりが仏さんというようになっただけで、迷いの心そのままで死んだら仏さんの心になったわけではないでしょう。

 

 まずは、お釈迦様の慈悲の真似から始めるのが、菩薩道

 

   衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) - 地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願

   煩悩無量誓願断(ぼんのうむりょうせいがんだん) - 煩悩は無量だが、すべて断つという誓願

   法門無尽誓願智(ほうもんむじんせいがんち) - 法門は無尽だが、すべて知るという誓願

   仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) - 仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願

 

   合掌