ステイホームで家庭での片付けが増え、回収したゴミの処分が追い付かない。 衣類などはしばらく、出さないで欲しいという要望も出てきているようです。   海外で処分を依頼していた廃棄物もコロナの影響で従来みたいに受け入れてくれる国も少なくなっていて、行き場を失ったゴミの不法投棄も増えているようです。

 

リサイクルが出来ない製品は、便利でも 買わない、使わない 生活が求められている。 

 

我々は、自分たちさえ良ければ構わないという便利を求めすぎてきてしまったのではないのか?

 

24時間のコンビニ、便利だが、陰では、夜中まで時間で物を運ばなければならない人、搾取されながらも、懸命に働いている人のお陰で、便利は成り立っている。 

 

福島の原発での汚染水が海に流せなく、増え続けて限界が来ている。  元々首都圏の人の便利の為に稼働していた原発、汚染水が安全ならば東京湾に流せばという理も出てくる。  自分たちは、快適で便利な場所に住んで、汚染水などの、ごみは自分たちの影響がない場所にかまわず捨てろ。 

 

自分たちが、便利を求めすぎて、作ってしまった原発。 後の世にも残してしまう。  我々が便利を求めすぎて作ってしまった行為という、業は今も残っていて、後世にも継続してしまう、 子孫たちも報いを受けなければならない因果の道理。    蒔いた種は、自分たちで受け、刈り取るしかない。  

仏教で言われる 小欲知足    一人一人が足るを知る生活が、 資本主義に代わる、人間社会の幸福につながる。