今日は、珍しいお菓子をご紹介します。

かわいい箱に入ったサブレですが、オートバイのイラストです。

このサブレの名前の意味を知っている人は、相当なマニア(変態)です。


箱の中はこんな感じです。
ポンポンサブレが5枚入っています。


製造元には、シールが貼ってあります。
理由は市区名が変わったためです。
もともとは天竜市でした。


サブレはこんな感じです。

大きいですね。

さっそく食べてみましょう。

サクサクのサブレで、美味しいです。

天竜区に立ち寄ることは、まずありませんが、立ち寄った際にはリピートしたいと思います。

では、なぜ天竜区でポンポンサブレなのでしょうか?

まず、ポンポンの意味ですが、これは大戦後直後に流行した、自転車用補助エンジンのことです。

音がポンポンと鳴るので、オートバイのことをポンポンと言っていました。

浜松で最初にポンポンを発明した人は、浜松のエジソンこと「本田宗一郎」でした。世界のホンダを創立した偉人です。

本田宗一郎は天竜区(旧光明村)生まれで、その生家跡地から徒歩1分の国道沿いに、一軒のお菓子屋さんがあります。

そこで売られているのがポンポンサブレです。

お店には、アート商会時代の本田宗一郎の写真や、本田宗一郎が自動車レースに出場した「カーチス号」の1/2模型などが展示されています。

1950年前後から、浜松市でが30をも超えるオートバイ製造会社が生まれ、そして消えていきました。

中には、本田技術と覇を競えるほどに成長したけど、倒産していった会社もありました。本田宗一郎のアート商会時代の弟子でもあった、伊藤正が設立した丸正自動車製造も、そのうちの一社です。

日本全国で250社とも言われるポンポンメーカーがありましたが、今や生き残っている会社は4社のみ。

そのうち3社が、浜松市で産声をあげたメーカーです。

浜松市で生まれたオートバイメーカーで、世界シェアの50%以上を占めているって、面白くないですか?

浜松市がオートバイの聖地になることをお祈りします。