今日は最初は少額から積立をしながら、
億万長者になられた明治時代の偉人、
本多 静六先生の物語をご紹介します。


本多静六は1866年 144年前に貧しい
農家に生まれました。


9歳の時に父が急に亡くなり、小学校から
凄い貧乏生活を続けなければなりませんでした。


何とかこの貧乏生活から脱却しなければ
精神的な独立も何も出来ないと決意をして
猛勉強をしたのです。


苦学の末東京農林学校を卒業、ミュンヘン
大学留学のあと東京帝国大学の助教授になり
ました。


明治25年25歳の時に東京大学の農学部の
助教授になったのです。年俸800円
(現在の300万円)手取りで月給60円
(約22万円)でした。



現在の大卒の給料とあまり変わりません。


外国から帰ってきたから大変だ給料取り
になったと思い、親戚縁者が頼ってきて
家族は9人となっていました。


そこでこのままでは貧乏か抜けられないと


「貧乏を征服する為には、まず貧乏をこちらから
進んでやつけなくてはならない」と思い
自発的に勤倹貯蓄に努めたのです。


そこで始めたのが「1/4天引き貯蓄法」である
収入のあったときには、容赦なく1/4を天引き
して貯金をしてしまう。


あまりの3/4で、苦しい生活を覚悟の上
押し通したのです。


すなわち1ヶ月58円(約21万3千円)を
月給袋からいきなり、14円50銭(約
5万3千円)を貯金をしていまい、残り
の43円50銭(約16万円)を一家9人の
生活を続けることにしたのです。


通常収入は1/4を貯金、臨時収入は全額貯金 


 つまり
貯金=通常収入 x 1/4 +臨時収入全額



苦しい上に更に苦しいさを求めたのだから
その苦しさという物は想像に絶するものだった
と思われます。



1/4貯金を続けていけば、3年目には幾ら、
5年目には幾ら、10年目には幾らになる。

今の苦しさは、苦しいのを脱するための
苦しさだから、しばらく我慢してくれと家内
の者に説いたのである。



世の中には自分と同じくらいの家族を抱えて、
現に30円の給与で生活をしている人々も
多くいる。


世の中の人と同じよな水準で、
ただ生活の出発を一段下げたところから始める
と考えたのです。


ブレンタノ博士の財訓


彼はドイツ留学では、ミュンヘン大学で
有名なブレンタノ先生の下で財政経済学を
専攻してきた。


そのブレンタノ博士が、卒業帰国に際して、


「お前はよく勉強するが、今後今までの
ような貧乏生活を続けていては仕方がない。

いかに学者でもまず優に独立生活ができる
だけの財産をこしらえなければ駄目だ。


そうしなければ、常に金のために自由を制せられ、
心にもない屈従を強いられることになる。


学者の権威も何もあったものでない。


帰朝したらその辺のことをしっかり努力して
かかることだよ」と戒められた。



人間の一生をみるに、誰でも早いか遅いか、
一度は貧乏を体験するものである。


つまり物によって心を苦しまされるのである。

これは私ども(本多)長年の経験から生まれた
結論である。


子供の時、若い頃に贅沢に育った人は必ず
貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した
人は必ず後が良くなる。


つまり人間は一生のうちに、遅かれ早かれ、
一度は貧乏生活を通り越さなければならぬのである。


だから、どうせ一度は通る貧乏なら、
できるだけ一日でも早くこれを通り越す
ようにしたい。


ハシカと同じようなもので、早く子供の時に
貧乏を通り越させてやった方が、それだけ
本人のためになるかわからぬ。


まことに若い時の苦労は買ってもやれと
言われているが、貧乏に苦労し、貧乏しぬい
てこそ、人生の意義や事物の価値認識を
一層深めることができるのである。



貧乏したことのある人間でなければ、
本当の人生の価値はわからないし、また堅実に
生活の向上を目指していく努力と幸福は生じてこない。


このように考えたのです。



この物語の続きは、明日のお楽しみに