この記事を読む前に

やや過激な表現が含まれます。ご注意ください。

 

自己紹介の次はマイケルについてブログを書こうと思ったが、その前に一つ書きたいことがあるのでそれについてのブログを書いていく。書きたいものとは、しぐれういの楽曲である「ロリ神レクイエム」についてである。俺はこの曲について書くためにAmebaを始めたといっても過言ではない。

まず、ロリ神レクイエムについて知らない人もいると思うので知らない人は聞いてみてほしい。

※閲覧することで不快な気持ちになる可能性があります。

何言ってんのかわからんという方のために歌詞も。

 

みなさんはこの曲を聞き、歌詞を見てどのように感じただろうか。俺は極めて不快に感じた。

まず歌詞が下品すぎる。なぜこのような曲を作ろうと思ったのか甚だ疑問である。嫌いすぎてTikTokなどで「ロリ神」のハッシュタグが付く投稿はすべて非表示になるように設定するほどだ。小児性犯罪を題材にするなんておかしい。

いい歳こいた大人が9歳自称するのも気持ち悪いがそれを推す奴の気も知れない。別に誰を推そうが個人の自由ではあるがよくもまあ顔もわからない奴に「推しに幸せになってほしい」とか言って投げ銭できるなと思う。

 

少し話が脱線したが、ロリ神レクエム自体おかしいが、それが流行って人気であるということをとても疑問に思っている。なぜこんなにも下品な音楽が流行り、古き良き音楽が軽視されてしまうのか。俺が大人になったらもっと下品な歌が増えると思うと嘆かわしい。

元うたのお兄さんである横山だいすけさんがロリ神レクイエムの楽曲を使用しダンスを踊った動画をTikTokに投稿したところ、批判が殺到し横山だいすけさんはアカウントを削除するという事態になった。まあ当たり前だろう。いくら引退した身であるとはいえ小さい子供の憧れの存在、お手本にならなければならない立場の人がこんな小児性犯罪を題材にした下品な歌でダンスを踊るなんて自覚が足りなさすぎる。

また、防犯ブザーを販売する会社がロリ神レクイエムについて好意的にとりあげたともいえる投稿をして炎上した。小児性犯罪を防ぐための防犯ブザーを作る会社がこんな下品な歌を好意的に取り上げるとはがっかりである。こちらも投稿及びアカウントが削除されたらしい。最初からやるなよ。

 

ロリ神レクイエムは日本だけではなく海外でも流行している。

俺が数日前Instagramでロリ神レクイエムの音楽に合わせて外国人が歌詞の意味も分からず踊っている動画を目にしたので

「日本の汚点が海外進出してしまった」とコメントしたところかなりの反響を呼んだ。

俺に同意していいねを押す者、俺を批判する者、俺を支持するコメントをする者など、様々な意見を持つ人が見られた。

コメントをした結果現在いいね数が2000超えになっていたことから俺と同じくロリ神レクイエムを不快に思っている人は多いらしい。しかし、俺を批判する者も後を絶たないのでロリ神レクイエムが好きな低俗な奴らも多いみたいだ。

分析してみたところ、次の特徴があった。

俺に同意した者は年齢層が高く、中高生の場合はエモい感じのアイコンでフォロワー数が多い、いわゆる陽キャが多くみられた。

俺を批判した者は年齢層が低く、アイコンは二次元アイコンの人が多かった。

このことから、ちゃんと博識のある大人はロリ神レクイエムについて不快に思っている人が多い傾向にあるということがわかる。実際このような下品な楽曲を作るのも下品が好きで騒ぐ奴もたいていが博識のないガキだ。

俺に批判してきた者の中で「お前は学生だが老害の素質がある」と俺にコメントしてきた者がいた。低俗で下品な餓鬼よりは博識ある老害の方が遥かにマシだろうと思ったが、古き良き考え方をする者が「老害」と言われ軽視されてしまうと思うと悲しくなる。俺が大人になったらこんな低俗な奴らだらけになってしまうのだろうか。

 

これらすべては多様性を誤った解釈をしてしまっているせいだと俺は思う。今は多様性の世の中だが、多様性で何でも片づけてしまうやつが多すぎる。最近不登校が増えているが、それも「俺は学校へ行きたくない。多様性の時代だから個人の意見を尊重しろ」と宣えばそれで良くなってしまっている。中学生のガキがイキってピアス開けたり髪染めるのも多様性で片付けられてしまう。トー横にいるような家出して屯してイキってる奴等は将来税金を食いつぶす未来しか見えないからそいつらの為に炊き出しなどの支援もする必要はないし今のうちに掃除をするべきだと俺は思う。こういう奴等の全てが「多様性」を自分の都合のいいように解釈して乱用しているアホである。

 

たしかに多様性はいいことであるが、乱用するべきではない。多様性だからと言って下品な音楽を作ったりルールを破ったり他人に迷惑をかけていいということにはならない。下品な音楽といえばロリ神レクイエムのほかにも「MJ Fleestyle」がある。この曲はマイケルジャクソンの曲「Billie Jean」を背景に流してそれに合わせてラップをする曲であり、曲名にもマイケルジャクソンのイニシャルである「MJ」が刻まれている。これも聞いたことがない人は聞いてみてほしい。

 

 

聞いてみてどうだろうか。「かゆなるちんこいやだまじ面倒」や「ラブホテルでパンコと裸」などの耳を疑うような歌詞が聞こえてくる。なんだこれは。こんなものが音楽なのか?これも全て多様性で片付けられるのか?百歩譲って多様性だからいいとしよう。だがしかし、背景にマイケルジャクソンの曲が流れている。必然的にマイケルにも下品なイメージがついてしまうわけだ。これはマイケルファンとしてとてもがっかりである。がっかりというか怒りだ。こんな下品な曲を作る奴がマイケルの曲を使用するなんて。出直してこい。多分マイケルファンでこの曲を好きな人はいないだろう。

たしかにマイケルジャクソンの「Superfly Sister」や「Can't let her get away」などにも性的な歌詞は含まれている。しかしそれは「ヤることだけが愛じゃない」などのメッセージが込められている。下品な言葉の羅列じゃない。マイケルの曲は「色気」であるがロリ神レクイエムやMJ Freestyleはただの下品である。色気と下品は全くの別物だ。履き違えないでほしい。

 

俺は昔の歌、特に80年代の歌が好きでよく聴いているのだが、今の曲は昔の曲に比べて内容がないように思える(ダジャレじゃないぞ。)昔の曲はメッセージ性があるのに対し今の曲はほとんどが難しい言葉の羅列。下品な表現も増えてきてとても音楽、芸術とは思えない仕上がりだ。

 

長くなったが結論を言おう。

今は下品な歌が増えてきたが、それは多様性を履き違えた結果である。

このような歌が流行ったり古き良き歌を軽視するのは間違っている。

多様性を都合のいいように解釈して乱用してルールを破ったり他人に迷惑をかけるべきではない。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

みなさんの意見もお聞きしたいのでぜひコメント欄に書いてください。