正直に言えば、僕は結構ビビっていた。
時間がない時は大丈夫間に合うよ!ってハッパかけて率先して動くタイプ、悩んでいる人の背中を押し、お金がなくてもなんとかなると笑い、その場が求めるならいつでも服を脱げる、恥ずかしさなんて無い、一番に汚れ役をやるようなノリの良い人生を送ってきたけれど、いつだってビビっていた。
メディア露出なんて恥ずかしくてできないってみんな言うなら俺やってやんよって言ってやってみてビビっていた。
ブログなんて痛くて痒くて読むだけでも共感性羞恥だよって分かっててそれでも書くんだよ!って言ってビビっていた。
望んでいない取り上げられ方をして望んでいないディスを浴び、ディスが嫌なら発信するなよと、シンプルな思考回路の人の言霊が頭から離れず、ビビり倒してSNSに距離を置いて手足も頭も隠した亀になってしまった。
けれどこの10年弱、色々な経験をした中で色々な仮説を立て、実験もしてみて、ようやく結論が出た。
それは、自分は発信者である恥ずかしさを乗り超えていかなければならないのだ、という事で、これは強迫観念ではなく事実として目の前にやってきた。
カッコつけてるやつも恥ずかしいし、恥ずかしいのが嫌で黙ってるやつも恥ずかしいし、人生ってつまり恥ずかしいものだから、一番恥ずかしいようなことを平気でやれている人がカッコよくて、それをカッコいいと思う自分はやはり、一般的な恥ずかしい人間であるべきなのだ。
例えばお笑い芸人とか、自分の作品を滔々と語るアーティストとか、うっと思いながらも、そのハードルを超えてる感じに敬意が生まれる。
だから本当の意味で挑戦しようと思います。少しずつだけどたぶん大丈夫。昔より断然心無い言葉を放つ人も減ったしね。
手足を出したところで亀のような歩みだろうけど、ビビってないでビビッドに生きたいね。
ほらこういうの、恥ずかしくても書いていくんだよ。