このブログを書き始めて4年が経ったらしい。
大学を卒業したあの濃い月日と同じだけの時間が経ったのかと考えると、このブログは少し薄味で、もっと書いても良かったなーという感想を抱くとともに、それはやはりできたかったなという結論に至ります。
精一杯心の余裕を見つけては、たとえばAirPodsのノイズキャンセリングだけを作動させ外界を遮断し、遮断しきったあとに感じる微かな外界との接続みたいなことを、書いてきたのです。
平坦な文章ばかりで文字数も多く、このプラットフォームには不釣り合いな僕のよしなし事を、今まで読んでくれてありがとうございます。別の場所への引っ越しも検討していますが、最近の出来事を書きますね。
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仕事で伊豆大島に行く機会が増え、週末は台風にビクつきながら仕事半分でお盆祭りに行った。ちょうど4年前に一度行ったことがあり、二度目の花火。
4年前にとてつもなく感動してしまって、今風の言葉で言えばそれはもうとてもエモくて、周りの人に大島の花火が一番綺麗って、言いふらしてきたんですけど、ついにやっと妻を連れて行けた。息子も初めての花火に最初は戸惑っていたけど、一度も泣かずに最後は見上げていた。
人間が美しいと思うものの原初に光る物がある、というような事を美学者の佐々木健一先生が著書で書いておりまして
真っ暗な夜に月や星を眺め、炎を囲み、水面に船を走らせ方々で宝石を見つけ、金を探しに泥をかき分けてきた人類を思いながら、僕も花火を見上げた。
しかし花火は毎度、消えて無くなってしまうのが美しい。流れ星より長く、桜よりも刹那だ。
大島の花火大会はぎゅうぎゅうに混んでなくて、観客が一体になってる感じがして、帰ることを気にしなくても良い泊まりがけの花火大会で、そんなにドバドバ打ち上げない。
一つ一つを楽しめ、ところどころに休符のような闇が挟まる。映画M:iとか漫才M-1みたいなリズムがあって、最後の勢いは凄い。
それがとても美しいと思う。
花火が終われば流れ星も見えるくらい綺麗で静かな夜空で、心が洗われ、夏が終わっていくようだった。
花火の前日には盆踊りを観に行かせてもらった。ちゃんと盆踊りを見るなど小学生以来な気がする。
盆踊りは先祖を供養するためのものだけど、それを楽しくやっちゃうのがとても良いな。良い文化だな、と思った。
楽しく元気に踊る島の若い子たちや年配者を見ていて、泣きそうにもなった。
盆踊りが昔から変わらず行われ、その行為がずっと行われてきたこと、そしてこれからも行われていきそうなことを思い、人々のご先祖への想いの深さとその数珠繋ぎを感じたからだ。
ご先祖は今ここにはいない。けど我々はいる。我々もいつかいなくなる。人の記憶からも消えていくだろう。
でもお盆にだけでも、命の連鎖があって今自分がいるということを、思い正したいな。
だいたい昔の記録は古くさく画質が荒くて、中には白黒のものもあって、
まるで劣化したもののように思っていても
今この目の前にあるように、鮮明な景色がその時も広がっていたのだ。
科学の進歩は関係なく、太古の昔から、この景色の美しさには変わりがない。
そんなことを思った。
今日は確認したいことがあり、久しぶりにfacebookを開いてみたら、ちょうど4年ほど、僕は全く誰にも返信していないことに気がついた。コメント自体まったく読んでいなかった。久しぶりの名前をたくさん見つける。
宙ぶらりんの誕生日コメントなどを発見し、血の気が引いたけど、もうどうしようもないから今度ちゃんと謝ろうと思う。すみません。
僕は自分から繋がりを絶ってしまっていたのだ。
これ以上繋がりなど別に欲してないんだけど、記憶は薄れて、出てきた昔の写真は画質が悪くて若くてもダサくても、その時の光景は今見えてる現実とまったく同じ画質だったのだ。
そう考えると、次第に自分の自分以外との接続を感じ、それはSNSにもあるんだなと思った。
自分の中でいつの間にか消えていってしまった思いや考えを、たまには迎えてあげて、考えなおし、また送ってあげるような、盆みたいことをたまたまちゃんとできたのだった。
謝り続けて生きていくために、僕は笑うし、おそらく色んなものを肯定して行くけど、そんな模様をこれからもどこかで書いていくと思います。
例えばブルーノ・マットソンのビンテージチェアの向かいにIKEAのスツールを置いて、ポテチとたけのこの里を食べながらNETFLIXでスラムダンクを観るのです。そして時に100均のルアーで小物を釣りながら自然と瞑想し、雑草を眺めたり、コストコに行ったり、チェーン牛丼を食べたりして、なんだかんだ、人とデザインを想い続けるでしょう。
ちゃんとものとして形になっていくには、それぞれ時間がかかりますが、何も諦めてないので待っていてください。
花火が輝くための休符が、僕にとっては思考です。