中傷と批判の線引きができていない人が多い。
批判もなく、なんだって良いじゃん!イェイ!って感じで、イメージの中のギャルっぽい世界だとして、
慰められても惨めになる一方だよ、マジサゲ。
という時が自分にはある。
思いっきり批判されても良い気はしないけど、悔しい思いも必要だなと、冷静になって、客観的に思うこともある。
世の中から誹謗中傷は消えたら良いんだけど(なくならない)
批判は無くなったら嫌だな。
おかしいことを「おかしい」と言える社会なのだから、つまらないものは「つまらない」で良い。
批判などわざわざ言う必要ない、という意見も出てくるけど、わざわざ表立って批判するからこそ、意味をなすこともあったじゃん。
人を憎まず、人を貶めず、それでもその行為は嫌だなと、言ったって良いでしょ。
最近の世間、つまんないっす。
少しでも面白くできないかと、本気で考えています。
例えば、妻の実家で本場のお好み焼きをいただいた時の写真。(美味しすぎて食べすぎました。)
お好み焼き、の「お好み」の部分はなんだって良さそうだけど、
そしたらステーキと区別つかないし、イカ焼きともパンケーキとも区別がつかない。
その線引きは、言語を用いた定義を超えてると思うんです。言語を用いると場合分けが多過ぎて、結果条件付きのわかりにくい線になる。そして結局、境界線はグラデーションになる。
だから線は綺麗に引けない。けれど右と左に分かれる。
自分がどんなに移動しようと、身体を起点に常に右と左があるように。
なんでも良いよ、は文字通りの意味じゃないのは、
ランチ決めに悩むひとときに何度も経験したでしょう?
なんでも良い時代だとしても、なんでも良い訳じゃないよ、を、もっと伝えてほしいし、伝えたい。