ウチの寝室の天井。



真ん中の板はOSBというチップボード。

そもそもは構造材だから表には出てこないけど、仕上げに使う時は普段、表面をサンディングしてから塗装する。そうすると写真のようには黄ばまない。


右下は白塗装。
左下は無塗装。
右上は配線が中途半端。
左上は天井を塞ぎきれていない。

つまりなんとも中途半端な天井仕上げ。


意図的なデザインではなく偶発的なコンポジション。
悪くない、と思った。


日常触れすぎて論理的なものに疲れて、

理知的に傲慢でナルシズムなデータ信者にはもう吐き気がしてて。

放棄してるんじゃなくて、そこに浸かってみたから言うんだけど、もっと軽い気持ちの実験的な解法が好きだわ。

つまりはまあ、ヒューリスティックということなんですが、言葉はさておき。


この天井、梁の表情を変えたい思いだけでOSBを張ってみたもので、その寸法を梁より少し大きめにしておいたのだけど、たまにそこにハンガーが掛かってたりする。

そしたらここは、そういう場所として生まれ直す。
棚の上が予期せず猫の遊び場になるようなもの。

その使用のエラーの繰り返しがその部位の機能的有用性を示す。
油断は大敵で、怠惰や無秩序と紙一重だけど

そこは注意しながらも、
箇所ごとの想像を繰り返すことが設計には大事だと考える。

人間関係もビジネスも同じく、
誰でもミスするし中途半端さはどこかにあるし矛盾するんだけど、いちいちそれをシステムに則って突っ込みすぎれば、僕らはドングリから進化できない。
そこを抜けるには、肯定的に捉えて活かすこと、
あるいは肯定的にエラーを起こすしかない、と、

ダーウィンの進化論を再考しながら思ったのです。


でも、天井はいつかちゃんとやります。ちょっとずつ。

そして、話は逸れるけど
トルコに少額だけど募金しました。