悲しいと懐かしいと、ありがとうの間に立たされて、

うまく言葉にすることが出来なかった。


人は言葉にできたとき、自分の感情を初めて自覚するという。大学で習った大事なことのひとつだ。


しっかり言葉になって出てきたのは、すごくシンプルな「寂しい」だった。



僕は20歳ごろから、高田馬場にあったお店で働いていた。ダイニングバーのような料理と、50種類くらいの世界のビールが置いてある小さなお店だった。


先日、

長くバイトしたそのお店のマスターが亡くなった。

子どものように可愛がってくれていた。



たまに連絡をもらっては、飲みに行きます、と言ってはいたけれど、言うだけで終わってしまった自分を責めた。


いつもマイルドセブンを吸っていた。

すらっとした長身で、白髪はオールバックで、お客さんとはあまり喋らない。そういうのは全部ママさんに任せて、バイトにジョークを言っていた。

作る料理は絶品だったし、ファンも多かった。

故郷を「くに」と読み、新しいバイトが来るたびに「くにはどこだ?」と聞いた。

金縁の四角い眼鏡。

いつもママさんと一緒だった。

ヴィトンの財布に、ハイウエストのツータック。


最強に格好良い人だった。



ママさんとマスターは大恋愛の末に結婚したと、昔に聞いていた。だからかいつでも仲良く、いつも一緒で、同い年の美人夫婦が素敵に見えた。


ママさんは訃報の電話をくれたとき、非常に元気がなかった。お葬式のあとに連絡をもらったので、

コロナを見計らって、この間お線香をあげさせていただいた。


悠人、建築家になったんだねえ、夢を叶えたんだねぇと、ママさんは言ってくれた。

マスターもずっと悠人と飲みたいって言ってたんだよ。

幸せってなんで無くなってからしか分からないんだろうね。

ママさん、お父さんいなくなっちゃってもう空っぽだよ。いつも一緒だったからさ。


と、明らかに元気をなくしてしまったママさんを前に、僕は人目を憚らず泣いた。


マスターの息子さんが営むお店で、マスターが作ったレシピの料理を食べようとしていた。


「豚肉のガーリックレモン醬油焼き」


ママさんも同じものを食べた。

ママさんが半分近く残すものだから、ことわって全部食べた。全て食べておきたいと思った。



結婚したことをママさんに伝えると、いろんなアドバイスをもらった。


悠人が相手に嫌だと思うことを、

相手も同じ部分で悠人を嫌に思っているよ、と。


違う家庭で育っているんだから、それは当然なのよ、と。


それさえわかってれば、仲良くやっていけるから、

あなた、彼女のことをちゃんと背負いなさいよ、と。


私は家にいる、寝癖とパジャマのお父さんが好きだった。


これらの言葉を胸に刻んだ。




マスターは、散歩中、後ちょっとで家というところで倒れたらしい。

近くの若い夫婦が見つけて救急車を呼んでくれたらしいが、間に合わなかった。


お父さん、最後までかっこいいまま逝っちゃったねと、ご家族で言っていたそうだ。

誰にも苦しいところを見せないのが、マスターらしい。


初めておうちにお邪魔し、手を合わせた後、マスターのベッドに案内された。


布団の中に何故か木刀が置いてあった。


だれか悪い奴が来た時に、俺がママちゃんを守る、と言っていたそうだ。これもマスターらしい。本気で奥さんを愛していた。なんてかっこいいのだろう。



仕事の話をすると、悠人は昔から神経が細いからね、あんまり気にせず頑張りなさいとママさんは言ってくれた。

マスターだったら、まあ悠人気楽にやれよ、と言ってくれそうな気がする。



ちょっと感傷的になってしまって、うーん、ブログにあげていいものか悩むけど、かっこいいマスターママさんを知って欲しくて、載せてみます。