今日は仕事の都合上、朝一で日立市に行き、昼にはもう東京に戻ってきた。
ひたちという電車に初めて乗った。意外と混んでいた。

束の間のひとり旅のような気分でキオスクでワッフルとコーヒーを買い、読みかけの本を2冊読み終え、ナルコスを見たり、小雨の田んぼや自然を見た。

日立市の今日行った町にはグラフィティが多く、それもなかなか手の込んだもので驚いた。
壁にヒビが入った建物が多かった。

今日読んだのは、
先日工場を見させてもらった金属加工屋さんの副社長さんに勧められた「上京物語」という本と、
ついに芥川賞を受賞された今村さんの「むらさきのスカートの女」

むらさきのスカートの女は、とても不気味な小説で、紫色のスカートばかり履く奇妙な女を観察し続ける「わたし」の異常さにどんどんと読者が気づく構成になっていて、そのスピード感がひたちのスピードと絶妙にあっていた。素直に、面白かった。

その後、恵比寿の写真美術館で
「ユーリー・ノルシュテイン「外套」をつくる」を観た。
友人のお父さんが制作に携わっていたから、付き合いで観に行ったのだが、これが結構刺さった。

ユーリー・ノルシュテインを知らない人もいると思うけど、作品を見れば大抵の人が分かるのではないだろうか。

僕は彼が30年作り続けている作品、「外套」の一部を本映像で初めて目の当たりにし、衝撃を受けた。

今まで見たどんなアニメーションとも違う、息遣いや所作、デフォルメされてはいるのだけど出てしまっている不自然なまでのリアルさに、鳥肌すら立った。
不気味さもある。

本映像作品自体には結構文句をつけたくなるけれど、ところどころユーリーの発言は胸を打つものだった。
生粋のアーティストなんだな、と思った。
批判は多そうだが、僕はなんか、すごく共感できてしまったし、この人は「外套」を完成させることはないだろうなと思った。

時代と社会と宇宙を考えて、宇宙にいる孤独を語っていた。

新約聖書にてヨハネは富を自分に集めれば盗まれてしまうので、天に集めて分け与えるべきと言ったが、「外套」の主人公アカーキーは、富を外套に集めたのだと、それは彼の孤独を表している、と。

それが非常に、ものかなしく聞こえた。

ゴーゴリの小説「外套」も読んだことがなかったので、早速読んでみようと思えた。
この映像を観れて良かった。

もしもユーリー・ノルシュテインに「外套」を完成させて欲しいなら、
誰も彼に「外套」の完成を期待してはいけない

というパラドックスが如実に表れていた。

ユーリーはおそらくアカーキーのように、外套に富を集めているんだ、

そうでなければ30年も考え続けられない。
「外套」への考察はもう理解が及ばないところまで行っていて、その意見が面白くて、もっと観たい!と思いつつ、

彼が幸せでいることをまず願うのみです。
彼は一番に自分以外の全ての人の幸せを願っていたから。



その後、昔の教え子に卒業設計の相談をされ、将来の悩みを聞いたりした。

彼は服の成り立ちの歴史を建築に取り込みたいというトンチンカンなことを言っていたので、結果、一緒に戦略を練った。
自分にも良い気づきがあった。

そして今朝読みおえた「上京物語」を譲った。

そもそも「やりたいこと」とは一体何かが、分かっていなそうだったから。
ちょうど読んだこの本はぴったりな気がした。