まだ10歳にもなっていなかった頃、

周りから少しだけからかわれている友達がいて、

 

僕は一緒になってその子をからかったことがある。

少し、苦い。

 

とても近所に住んでいて、普通に話すし普通に友達なんだけど、彼には変な趣味があった。

 

彼は公園の隣の鉄工所から出た鉄くずを、いつも集めていたのだ。

 

多くは錆びていて、今思うとあれは異形鉄筋だったのだけど、親たちなら「危ないよ」と言うだろうその鉄くずを、彼は学校帰りに拾っていた。

 

そんなん拾ってどうするの、と聞いたことがある。

それを集めて組み合わせることで、大きなものを作るんだと、彼は言った。

 

聞いた途端、僕はそれがなぜかはっきりと頭の中でイメージできて、羨ましい!オレも集めたい!と思ったのを覚えている。

 

眠りに着く前、よく、2段ベットの上で連続するプリント合板の木目をながめながら、「大きなもの」を想像していた。

 

日頃鉄くずを集める彼は、いつの間にか鉄工所のおじさんと仲良くなっていて、拾わずとも直接手渡しでもらうようにさえなった。

まだ錆びていない立派なものもあった。

 

それを見るたび、羨ましいと思った。少し悔しくもあり、でも心はワクワクしていた。出来上がりのイメージが頭の中にあったから。

あの時なぜ素直に、素敵だね、と言ってあげられなかったんだろう、と思う。

 

今でも変わらず、「大きなもの」は想像できる。

もちろん子どもが想像しただけのその大作を、実際に見ることはなかった。

いつかそれを作る気分になれば、代わりに作って展示してみたい。

 

 

少し変わった子供だった彼は、確かにからかわれることはあったけど、

僕にとっては、僕の何かを目覚めさせた天才だった。

 

彼の名前はゆうと、偶然にもおんなじ名前だった彼に、どこか他人ではないような気さえしていた。

 

今ではもう会うこともなくなってしまったけど、たまにふと思い出す。

 

 

憧れた彼にもらったスクラップ愛は今でも生きていて、

何かと、不用品やゴミに興味を持つことが多い。

 

意味が失われたものにもう一度意味づけをしていく、

思えば、そんな建築しかしていない。

 

 

先日、あきる野市のスクラップ工場から買い取った階段

 

めっちゃ安かった。

 

物件に運び入れる時、大怪我をした。

でも、ワクワクが止まらない。

 

完成した暁にはここでまた。