ブログを開いて頂き、ありがとうございます
最近インスタライブも出来なくなり、SNSも疲れ気味。情報の一方通行のようですが、ブログを始めることにしました
僕の珍妙奇天烈な人生をつらつらと書いていきます
記念すべき1発目のブログは、私が人生で2度、確信的に社会の理不尽さを知った話をします。
僕は群馬県太田市の田舎で産まれた、3人姉兄の末っ子である。
親父は自営業の2世社長で、昔はパチンコやキャバクラ三昧の日々
母親は緑内障という病気を持っており、ほとんど目が見えません。その中でふしだらな夫と、嫁いびり全開な義父母に揉まれながら、僕を育ててくれました。
姉は高校の英語教師をしており、兄は隠キャ工場勤務
そんな家族構成だ。
ここまで紹介すると、母親がとても偉大に感じる事と思います。不自由な身体に鞭を打ち、育ててくれた恩もたくさんあります。
今現在も、たくさん心配の連絡をくれます。
しかし私が理不尽な扱いを2度受けたのは、いずれも母からなのである。
僕が6歳くらいの頃、よく3歳上の兄とおもちゃやゲームで遊んでいた。
とは言っても僕は末っ子。兄がやりたい事に付き合い、兄の得意な土俵で勝負を仕掛けられ、負ける事で兄の承認欲求を満たすような存在だった。
その日も兄とプロレスごっこの真似事をしていた。
親父は仕事で出張、母親は犬の散歩に出掛けていた。
姉は登校中、祖父母も外出していた。
当然、家には悪魔のような兄と僕しかいない。
兄の怒涛の攻撃が始まる。
体格差も明らか、僕には勝ち目がなかった。
そこで僕が考えた反撃は
「とにかく大声で助けを呼ぶ事」
それしかなかった。
兄の攻撃の隙をつき、僕は窓を開けて大声で叫んだ。
「おかあさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!」
僕の魂の叫びは、遠くまで響き渡った。
心からの叫びだった。
それから兄の止むことのない攻撃に10分ほど耐え続け、足音が聞こえてきた。
階段を登る音がする。兄の攻撃が止む。
「助かった…」
安堵する私。
ガラッ!!と勢いよく扉が開く。
母、兄を厳しく叱ってやってください。
母が右手を振り上げる。
ビタァァァァン!!!
殴られたのは俺だった。
その後、母親はこう言った。
「恥ずかしいからデケェ声出すんじゃねえ!!!」
俺はこの時、1度目の社会の理不尽さを知った。
弱者には誰も手を差し伸べてはくれない。自分で強くならなければ。そう心に刻んだ。
2度目の理不尽をくらったのは、家族で外食へ出かけた時だ。
当時、親父の体たらくもあり、我が家は貧乏だった。
そんな中、親父がパチンコで勝ったのか、当時流行りはじめた吉野家の牛丼を食べに行こう。という事になった。
当時8歳くらい、恥ずかしながら俺は人生で牛丼を食べた事がなかったのだ。
俺は期待に胸を躍らせていた。
向かう車の中でも落ち着きがなく、ワクワクしていたのを覚えている。
吉野家に到着。
俺は初めての牛丼を食べ、とにかく感動した。
「美味しい、美味しいよ!牛丼めっちゃおいしい!」
それはさながら、狂四郎2030のカレーを食うシーンのようだった。
満面の笑みでそう言った私に、母が振り向いた。
ビタァァァァン!!!
俺は殴られた。
混乱した。
しかし、その後の母の言葉で理解した。
「恥ずかしいからデケェ声でうめぇうめぇって言うんじゃねえ!!!」
俺は2度目の社会の理不尽さを知った。
素直な感情を表に出すべきは、時と場合によるのだと。
俺は実直に感想を言う事で、普段から"ロクなものを食べさせていないように見られる母親"を作り出してしまっていた。
しかし理不尽だと感じた。美味いものを美味いと言って殴られればそれはそうだ。
母親よ、ここまで育ててくれて本当にありがとう。
親父や義父母から多大なストレスを受け続けながらも、お世話をして頂いたお陰で僕たちは立派に育ちました。
しかし、今さらながら聞きたい。
そのストレス、僕にぶつけていませんでしたか?
いやそんなはずはないだろう。そう思いたい。
母よ、これからも長生きしてください。
息子はいまブログに、あなたから受けた理不尽な仕打ちを書いています。
僕は誰かの素直さを尊重し、弱者に手を差し伸べられる人間になろうと思うよ。
ブログ第1回これにて終わり
ありがとうございました。
