強姦に遭ってから20年。ずっと変わらない思考。 | こぼりゆきこ自叙伝ブログ~私の心の闇はここから始まった~

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こぼりゆきこです。フジテレビ「アウト×デラックス」元準レギュラー。現在、あやまんJAPANユースメンバーこぼり濡れ煎餅店として活動。日頃の何気ないことを書いているブログです。また脳脊髄液減少症、情緒不安定性パーソナリティー障害等と闘病中。


※何度も更新し直してしまいすみません。


知ってる方は知ってるかと思います私は高校生の時(16歳)に強姦に遭いました。


もう20年前の事です。


当時、白黒画面で小さくてそんな携帯でも出会い系サイトというものがありました。
まだ18歳以下は使えないとかなかったかと思います。


好奇心で私は知り合った人にわざわざ早朝から埼玉から神奈川の厚木まで会いに行きました。


夕方からバイトが入ってたのによく会いに行ったなと思います。ちょっとお話程度だと思ってたんだと思います。


しかし会ったら雰囲気がとても不気味な人でいかにも怪しい人で車に乗ることを勧められて怖いから断りたかったけどもうすでに断われない状態でした。
途中コンビニに寄ったけど店員さんに助けを求めるなんてこともできずどんどん知らない山奥の道に入っていき彼の家に着きました。


それからはもうあっという間に無理矢理服を脱がかれその人に初キスも初行為も奪われました。


処女の私はどこからが行為といっていいのか分からないけど相手と私の身体、唇が性器が触れてる状態がとても不快で恐怖で沢山沢山泣いたし大声で叫んで抵抗しました。赤ちゃんの時を除き人生で1番泣きました。


しかし高校生の女の力なんて成人男性の力にすぐ奪われそれでも泣きながら叫びながら抵抗してると



「これ以上騒いだらぶっ殺すぞ!」



と頬を叩かれ脅され私は本当に殺されてしまうかもしれないと感じそこからは泣き寝入りでした。
もう抵抗する力も気力もなくなりされるがまま。
黙ってました。


そしてこういう事をしてもなぜか彼は車で駅まで送ってくれました。
それは助かりました。
全然知らない土地に残されたら困ったからです。当時はGPSなんてありません。


駅に向かう車の中で普通にバイト先の店長に事情を話すと「大丈夫?1人で警察行ける?付き添おうか?」って心配されましたが「大丈夫です。仕事休んですみません」と伝えそして普通に地元の春日部まで帰ってきました。
なぜだかパン屋さんに寄ってパンを買う余裕がありました。


気持ちが感情がゼロになっていたのです。


帰宅してももちろん親に言えなくて近くに住む友達に来てもらい代わりに話してもらいました。事情を聞いた母は「信じていたのに!」って怒りました。


母は取り乱すというか混乱してしていて父も仕事中だったので友達と警察署に行ったら未成年だからやっぱり親と話さなきゃという事で警察の方が家に来てくれました。


その時は母も落ち着き、ちょうど都内に住む兄も帰っていたので立ち会ってもらいましたが「事件が厚木で起きたので春日部警察署では管轄違くて扱えないので厚木警察署まで行ってください」と言われました。


それからは何回も厚木警察署に行って1日8時間取り調べしたりしました。その8時間を家族は待っていてくれてどんな気持ちだったんだろうと思います。
現場検証したり検察署では検事さんに8人くらいの男の顔写真とか犯人のパンツを見せられて「どの人ですか?どれですか?」とかマジックミラー越しから犯人が事情聴取されてるの見て「あの人が加害者ですか?」とかドラマによく出てくるようなやつを体験しました。
最終的に裁判までしましたが証拠不十分で負けてしまいました。


犯人は捕まったときは他の子を同じようなことしてる最中で現行犯逮捕で7人くらいの女の子に同じことしてたけどダメでした。


今頃、どこかで普通にのびのびと生きているんでしょう。


裁判中に知らない沢山の人と両親の前でこと細かく時系列を話し何度の角度に座ったか相手の性器の長さは何センチどんな感じだったかとまで話さなきゃいけないことがとても苦痛だし両親に申し訳なかったです。
親も涙目だったように思います。
更に裁判中、私と犯人は簡易的な壁で遮ってあり見えない状態だったけど「金が欲しいからこんなことやってんだろ!」って叫んでました。私は何も思わなかったけど母はキレそうでした。

もちろん犯人側も弁護士つけてるのでそんな事聞いてくるのか追い込んでくるのかとビビりました。そこを何とか私の弁護士さん検事さんが守ってくれました。


そして半年後には気付いたらリストカットしていました。リストカットとか自傷行為という言葉も行為も知らないし見たこともないのにいつの間に身体が動いてました。


担任の先生にも友達にも笑って話せるくらいにまでなっていて逆に友達が泣いちゃったりしてました。先生にも大変心配かけたし厚木警察署からわざわざ車で学校まで来てくれて私はどういう生徒なのか聴いてたみたいです。
高1の時の担任と高2の時の担任が話してくれました。


そして私は同じような性被害やストーカー等に遭い亡くなってしまったり怪我した子のニュースを見ると


「私は助かってしまってごめんなさい。
生きていてごめんなさい。」


と思うようになりその考えが20年経った今でも変わりません。


どんなに周り、先生、警察などに「悪いのは犯人だよ」と言われても1番悪いのは私という思考は変わることはありません。



もちろん友達とかが被害遭ったら犯人殺したいくらいな気持ちになるし許せません。
同じような被害に遭ったニュースを見るとこの子は心の病にならないだろうかと心配になってしまいます。


でも私は助かってしまってごめんなさいなんです。


意味不明ですよね、何でこう思うのか自分でも分かりません。


精神科にも18年くらい通ってプチ自殺未遂とかリストカット、大量服薬の繰り返しで入院も4回したし閉鎖病棟の恐怖も経験しました。

病名もPTSD→適応障害→うつ病→境界性パーソナリティ障害→気分変調症って変わりました。現在も通院治療中です。


それでも何でかこの思考は変わらないので結局自分の意見しか飲み込まない自己中女だな最低だと思います。


それなら考え方かえればって思うかもですが変わらないのです。


救急車やパトカーを見たりピーポーの音、車のクラクション、他ちょっとした音でも反応して脳裏に蘇ります。



それでもどこかで同じような被害に遭って苦しんでる子がいたら救えるような仕事したいとも思っています。


こんな事があっても数年前までフジテレビの「アウト×デラックス」に普通に出ててナイナイの矢部さんマツコ・デラックスさんなどと絡んだり今はあやまんJAPANユースとして活動してたりで人生不思議ですよね。
自殺未遂経験者としてジャニーズのNEWSの小山慶一郎さんと加藤シゲアキさんが出ている「NEWSな2人」(さっきまで番組名間違ってたよすみません)にも参加させていただき経験談語させてもらいました。同じような被害に遭った方から「勇気もらいました」って言葉もらったときは嬉しくなりました。こんな私でも生きてる意味あるのかもしれないと思いました。


また再現VTR見る時に小山さん加藤さんが「フラッシュバックとか大丈夫?」ってとても気にかけて下さりありがたかったです。


その間に追突事故に遭って後遺症の脳脊髄液減少症になったり婚約破棄したり結婚詐欺に遭ったり卵巣チョコレート嚢胞の手術もしましたよ笑
他にも色々ありますが割愛しましょう。


長くなりましたがこれが性被害にあった20年後の現実です。