22. 地獄の閉鎖病棟への入院(精神科2回目) | こぼりゆきこ自叙伝ブログ~私の心の闇はここから始まった~

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こぼりゆきこです。フジテレビ「アウト×デラックス」元準レギュラー。現在、あやまんJAPANユースメンバーこぼり濡れ煎餅店として活動。日頃の何気ないことを書いているブログです。また脳脊髄液減少症、情緒不安定性パーソナリティー障害等と闘病中。


閉鎖病棟へ案内されまず病棟に行くまでに外の鍵、中の鍵、ナースステーションから病棟まで続く鍵が厳重になされこんなにも閉じ込められるのかと不安になった。


別の部屋でまずは持ち物チェックが入った。持ってきたものすべてをテーブルの上に出した。
1つ1つチェックされ危険なものが入ってないか看護師が確認していた。


私は音楽を聴こうと思ってMDプレイヤーを持ってきていたが取り上げられた。
イヤホンのコードで首つりとか首絞ないためだった。
先生に使っていいのか確認してから返すねと言われた。洋服をちょっと掛けるハンガーも針金タイプは禁止だった。針金の先で自傷行為するからだろう。


他にも安全ピンとかシャーペンも最初はダメだった気がする。
洗濯用の洗剤も預けた。


そんな中で私はお守り替わりとしていつも持ち歩いてた掌にすっぽり入るミニカッターをどうにかこうにか上手く隠し持つことに成功した。


切らなくてもカッターを持ってるだけでお守りになるのだ。


病棟に通されると大音量のテレビの前で何人もの患者が固まって観てたり、常に大声を上げている人やドアノブをガチャガチャひたすらやってる人、グルグル歩き回ってる人、1人だけどブツブツ何かを言って誰かとお話してる人など様々だった。


こんなにもいろんな患者さんが活動的に動いてるのは開放病棟ではなかった。
開放病棟はわりかし静かな病棟だった。


デイルームもナースステーションから離れてたし。
閉鎖病棟のデイルームはナースステーションとガラス越しになっており常に監視されてる状態だった。


部屋も6人部屋は変わりないけどカーテンをしめちゃいけないし部屋のドアも開けっ放しにしなきゃいけなかった。


トイレもたしか鍵が掛けられなかった気がする。


私は大変なとこに来てしまったと思った。


入院してるんだから静かに安静してたいのに心が休まることはなかった。


テレビが置いてあるすぐ横の病室だったためテレビの音量がとにかく耳障りだった。もちろん各自ベッドにはテレビは置いてない。


隣の若い女の子がずっーと「帰りたい帰りたい」「出して出して」など言っていたため私は病気の症状なんだから仕方ないとガマンきたけど同じ病室の方が「うるさいんだよ!」と怒鳴ったりしてビクビクしていた。


どこかで発狂していたりドアノブをガチャガチャしてたりは毎日だった。


散歩の時間も決まっており散歩といっても小さなお庭で大量の患者が列になりそこをグルグル何周もしているというのが精神的に辛かった。


洗濯物を干す、取り込む時間も決まっててそこもすべて看護師監視だった。



入院から数日後、私はカッターを隠し持ってることが怖くなり思い切って看護師に伝えた。


もちろん取り上げられ怒られた。
主治医も飛んできて怖い顔で「何でカッター隠してたの?」と聞き

私は「持ってると安心するからです」と答えたが主治医は「今度少しでも自傷したらベッドに拘束するからね!場合によっては保護室入ってもらうよ!」とピシャリと言った。


拘束は絶対嫌だった。
保護室もすごく怖いイメージがあり嫌だったので自傷しないようとにかく耐えた。


何日経っても慣れることはなく次第に感覚が麻痺して私もいつの間にか1日中廊下を行ったり来たりしていた。



太るのが嫌で少しでも運動しなくてはと思い廊下を行ったり来たりしていてナースステーションから1番奥にある非常ドアのドアノブをガチャガチャしたりどこか脱出するところはないかと探していた。


これは開放病棟もそうだったが窓が数cmしか開かないためそこから逃げ出すのは無理だし閉鎖病棟は鉄格子みたいので覆われていたから尚更無理だった。


庭で散歩タイムのときも一緒に列に混じってグルグル回るときもあったが不意にちょっと外れて庭を囲っているフェンスに近づいてそれに触れたりすると数秒後には看護師が駆けつけ「小堀さん何やってるの?戻るよ」と連れ戻された。


こんな毎日毎日、いろんな音や声、患者さんがいる中での入院生活なんて更に症状が悪くなると思い、私は主治医との話し合いの度に泣きながら「ここにいたら余計症状悪くなるんでお願いだから開放病棟に移させてください」と言っても無理だった。


面会も家族以外の面会は禁止だった。


そんな中、音楽を聴いてもいいという許可が出た。何時から何時までと決まっていたが音楽を聴けるだけでも幸せと感じ毎日音楽OKの時間になるとすぐにナースステーションに行った。


何人かの患者さんと話すようになると今から10年以上前だからかそんなに今程タバコはダメというのはなくて精神科の閉鎖病棟なのに何故だか喫煙していい場所がデイルームの端にあってそこでみんなよくタバコを吸っていた。


私も混じってたいして吸えないのにタバコをもらって吸ってたらすぐ看護師が飛んできて「小堀さんタバコ吸わないでしょっ!」って注意しれた。


ずっと監視されてるのがとにかく嫌でもう本当に勘弁してくださいだった。


親が面会に来てバイバイするときもいつも「私を連れ出して!一緒にあのドアの向こうに行きたい!」と思っても親が出た直後に鍵が閉められるの繰り返しで本当に地獄だった。


売店で買い物できるようになっても必ず看護師付き添いのもとだった。


売店に行くまで外の通路を通るのでいつも脱走したい脱走したいと強く思ったがここで脱走したら拘束とか保護室行きになって更に入院が延びるだけだと思いひたすら我慢した。


誰かが脱走した時があってその時、看護師や医者、その他職員が一斉に病院内を外中駆け巡り病院の門の外まで駆け足で探し始めたのを見た時、脱走したら本当に一生出れないかもと思い脱走計画は諦めた。


こんな閉鎖病棟生活でも患者さんによっては開放病棟より閉鎖病棟のほうが自分に合うという人もいた。


患者によって違うんだなぁと思ったし私は断然開放病棟だよなぁと思った。


そんな地獄のような閉鎖病棟で2ヵ月耐えた。


続く