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その日の夜。
「何これっ!? めちゃ美味……っ!」
「うふふ、お口に合ったみたいで、良かったわ」
葵さんが作ってくれた『スタミナ丼』とか言うものを
恐る恐る口に入れた俺様は余りの旨さに驚き、思わず食欲が進む。
「このお肉はね、ニンニクと生姜を染み込ませたタレに一晩漬けてたの。
後で身体が温かくなるけど、風邪予防には最適なのよ」
確かに生姜は喉にいいって
俺様の育て親、──脳梗塞で亡くなったリュウゲンさんが
そう言ってたもんな。
「やっぱ、なかったんだな。ガラルには」
「それはそうだよ、こっちと向こうの食事の文化も違うだろうし……。
知らないのも当然だもん。はい、フライゴン。お口あーんして」
個別に分けていたスタミナ丼をスプーンで掬い、
熱を冷ます為、軽く息を吹きかけると、
側にいたフライゴンの口元へと持っていく。
すると、俺様と同じように初めて食べる味に感動したのか、
嬉しそうに鳴き声を上げた。
『フリャ〜っ!』
「フライゴンも美味しいって言ってるよ。お母さん」
「それは良かったわ、有難うね、フリャちゃん」
話を聞けば、このスタミナ丼とか言う料理は
菫と藤哉の祖母、つまり、葵さんの母親。
別の場所で葵さんの姉夫妻と一緒に住んでるみたいで、
俺様はまだ会ったことがないから、何とも言えねぇけど。
その人から教えて貰ったレシピで、
ピーマンや玉ねぎ、人参などと言った野菜は
千切りではなかったらしい。
母親はコンソメの素を使ってのスタミナ丼を作ってたようで、
だけど、葵さんは色んな味を試した結果、
鶏ガラスープの素が一番合ってたみたいで、
それ以降この味になって……。所謂、家庭の味って奴か?
なんか、そういうのって憧れる。
「沢山あるから、遠慮なく食べてね」
「有難うございます」
後で葵さんにレシピを教えて貰おうかなと考えてるが、
問題はこの味を俺様が再現出来るかどうか……。
別に料理を作るのは嫌いじゃねぇし、
何より、自炊した方が安いからな。
でも、こっちに来る前、ジムチャレ中だったから、
ろくに買い物とか行ってなかったような気が……。
忙しかったせいもあるけど、殆ど外食で済ませたし。
ま、その辺りは戻った時に考えるとして、
箸を止めた俺様はちらりと菫達の方に目を向ける。
羽柴家に居候して1ヶ月経ったけど、
向こうに帰る方法が未だに分からねぇ。
だけど、菫達と過ごすこの時間がめちゃ居心地が良いって思えて、
──俺様の中で、かけがえのない大切な宝物になってるんだよな。
「もうっ、お兄ちゃんったら!
スマホ見ながら食べるの、お行儀が悪いよっ!」
「煩えな……。そういうお前だって、フライゴンに構ってる癖に。
さっさと食ってしまえよ」
「私は少し食べただけで、すぐにお腹いっぱいになるんだもん!
それに今はフライゴンのお世話してるんだから!」
嫌々、半分以上残ってるぜ、と心の中でツッコミを入れる。
丼の器だって、俺様と藤哉の器よりも一回り小さいし、
これで満腹になるってことだから、
後でバタンッと倒れるんじゃないかって、凄え心配になる。
ただでさえ、菫は身体が軽いって言うのに。
初めて両手で抱えた時、背中に羽根でも生えてるのかと
錯覚してしまったぐらいだもんな。
だけど、俺様としては、もう少し肥えてもいいと思う。
勿論、……何処が、とは言わねぇけどさ。
(こうなったら、餌付けさせた方がいいのか?)
でもな、菫の奴、沢山食べる方じゃねぇし……。うーん、悩むな。
「こら、藤哉も菫も食事中に喧嘩しないの。
キバナ君、御免なさいね。煩くて」
「俺様は気にしてないので、大丈夫です」
止めてた箸を動かして、スタミナ丼を食べ始める。
うん、やっぱり、美味いな。
菫が作ってくれたコンビーフの炒飯も美味かったけど、
ちゃんぽん、鶏鍋、揚出し豆腐に炊き込みご飯。
大根の煮物とか肉じゃがにその汁を使ってのおじや。
豆腐や薄揚げが入った味噌汁。かぼちゃのコロッケ。
それから、巻き寿司に握り寿司などと言った料理なんて、
向こうでは見たことなかったし、
ま、ガラルの外を一歩も出たことのねぇ俺様が言うのもあれだけど。
ホント、此処はいい所だよな。
菫達が暮らしてる場所は何もない田舎だけど、
自然が豊かで空気がこんなに美味しいなんて。
(そう言えば……、菫の奴、
“かまぼこ”とか言う練り物系はダメだって言ってたな……)
お母さんが作ってくれたすり身の揚げ物は
当たり前のように食べられるんだけどね、と笑みを零してた。
普通に考えれば、そうだよな。
誰にだって、好き嫌いとかあるだろうし。
そういう俺様も、実は辛いものが苦手だったりする。
「キバナ君も辛いの苦手なんだね」
“も”ってことは……?
「うん、私もキバナ君と同じ。あ、お母さんもお兄ちゃんもだよ」
だから、俺様がこっちに来た初日の夜、
夕食に出されたカレーが甘口だったんだ。
野菜は細かくみじん切りにされてたし、かなり食べやすかったけどな。
(お子様みたい、とか
キバナのイメージが崩れた、とか言われるかなって思ってたけど…………)
向こうにいた頃は、ありのままの俺様を見てくれる人なんて、
友人達以外、誰もいなかったし、
その殆どが“ドラゴンストーム・キバナ”として見られるのが多かった。
しかし、こっちに来てからは言うと、
菫達はそんな素振りを見せることもなく、
俺様を“ただのキバナ”として見てくれてるし、
まるで、ホントの家族のように接してくれて、凄え嬉しい。
感謝の言葉が幾つあっても、全然足りねぇよ。
話は大分逸れてしまったが、
向こうにも、こういう料理とか出して欲しいな、と思いつつも、
葵さんの言葉に甘えてお代わりをすることに。
「……菫。もう少し、食った方がいいぜ?」
「ほえ? これでも、沢山食べてるよ?」
確かに、さっきよりは減ったと思うけど……、
食べる一口が小さいせいか、もぐもぐと咀嚼する菫の姿が
あんまりにも可愛すぎて、見てるだけでも、ヤバい気がする。
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後片付けや洗い物を済ませると、
葵さんの言葉に甘えて、先に風呂に入らせて貰う。
ゆっくりと湯船に浸かった俺様は風呂から上がり、
パジャマに着替えて自室へと向かう。
元々来客用の部屋として使ってたらしいけど、
俺様が居候することになったから、翌日皆で大掃除したんだよな。
向こうには和を取り入れた部屋や畳なんて見たことがなかったし、
畳の上に敷いて寝る布団を見て、凄え感動したのは今でも覚えてる。
今じゃ、すっかり布団で寝るのが慣れてしまった。
取り合えず、今日の朝に習った所を復習でもするかと思い、
ドリルを開いて勉強してたら、
控え目にだけど、ドアをノックする音が耳に聞こえてきた。
こんな時間に誰だ? と心の中で呟きつつ、
その場から立ち上がって、ドアの方へと動かしていく。
ドアを開けると、そこにいたのは、
「じゃじゃーん! キバナ君にお届け物でーす!」
フライゴンが入ったハイパーボールを手に持つ、
もこもこのパジャマを着た菫だった。
風呂上がりだからなのか、
ほんのりとピンク色に染まり、紅潮した頬っぺたが色っぽくて、
思わずドキッとしたけど、
よく見ると、髪がしっとりと濡れて……って、ちょっとたんま。
髪乾かさずに俺様の所に来たのかよっ!
「お前な……風邪引いたら、どうすんだよっ!」
「大丈夫だよ。風邪なんて、成人してから一度も引いたことないもん!」
当の本人は自信満々にそう宣言するが、
急に寒さを感じたのか、くしゅん、と小さな嚔がした。
言ってる傍から、これだもんな。当然俺様が聞き逃す訳もなく。
恐る恐ると上目遣いで見上げる菫ににっこりと笑いかける。
「──なーにが大丈夫だって?」
頬っぺたを指で抓むように、むにゅっと引っ張った。
生まれ立てのヌメラみたいに柔らかくて、やっぱ、触り心地がいい。
「ふぇ〜ん、きばにゃくんが怒ってりゅ〜っ!」
「当たり前だろ! このバカっ!」
「ごへんなしゃーい!」
「……ったく」
次からは気をつけろよ、と
キツく言い聞かせたから、これで大丈夫だと思う。……多分だけど。
「俺様が乾かしてやるから……、部屋に来いよ」
「お邪魔します……」
ハイパーボールを受け取ると、すぐさま、菫を部屋の中に招き入れて、
脱衣所に置いてあったドライヤーを取りに一旦部屋の外に出る。
そして、自室に戻って来た時には
菫は大人しく布団の上にちょこんと座ってて、俺様に気づくと、
まるで、花が咲いたみたいにぱあっと明るくなって……、
めっちゃ可愛すぎんだろっ!
嫌々、耐えるんだ、俺様。鋼の精神で。
「えへへ、キバナ君に乾かして貰えるなんて贅沢かも」
「今回だけだからな?」
「はーい」
風邪引く恐れがあるから、
早めに済ませようとドライヤーに電源を入れて、
菫の髪を乾かすことに。
(無防備過ぎるんだよな……)
この1ヶ月、俺様はさり気なくアピールしてきたつもりなんだが、
菫は俺様の好意に全く気づいてくれることもなく、
べったりと甘えるフライゴンに構ってばっかりで、
朝の挨拶や行ってきますのキスだってしてるもんな。
その場面を初めて見た時は、
1日中モヤモヤしてて、とても勉強が出来る状態じゃなかった。
そりゃ、俺様だって健全な男だ。
何の口実もなしに菫に触れたいって思うし、構って欲しい。
もっと、欲を言えば、お早うのキスとか、
行ってきますのキスをして欲しい、──と。
まさか、キバナ様が相棒にヤキモチを妬き、更に嫉妬するなんてな。
向こうでは一度も体験したことがなかったって言うより、
すぐに破局してたから、何とも言えねぇけど。
でも、現在は違う。
菫のことが好きで、早く手に入れたくて、たまらねぇんだ。
だけど、肝心な菫は俺様のことを手のかかる弟みたいな感じだし、
異性として見ていねぇ。
いつになったら、俺様の気持ちに気づいてくれるんだよっ!? って、
悶々とした日々を送ってたけど……、
ついにニブチンな菫が俺様のことを一人の男として、
漸く意識し始めてるって知った時は、
よっしゃーっ! って内心でガッツポーズをしたぐらいだ。
迎えに行った時、ハグしたお陰でもあるが、
やっぱ、一番の決め手となったのが、バスに乗った時だな。
ヨーギラスのぬいぐるみを強く抱き締めて、
落ち着かなさそうにそわそわするわ、
俺様と目が合うと恥ずかしそうにばっと逸らして、
頬っぺた、首筋に耳まで真っ赤に染まってたもんな。
あれはめっちゃ可愛かった。
(ホント、此処まで長かったぜ…………)
俺様の努力がやっと報われるし、
これからは回りくどい言い方はせずに、正々堂々と行動に移す。
どうやら、最近職場の方でも、
菫の周りをちらつく男の影がいるみたいだからな。
と言っても、葵さんから聞いた情報なんだけど。
実際に自分の目で見た訳じゃねぇから、何とも言えないが。
例え、菫に好意を寄せる男が現れたとしても、
渡すつもりなんてねぇよ。
一度欲しいものは、何がなんでも、絶対に手に入れる。
そんな感情になるぐらい、菫は俺様の大切な、唯一無二の宝なんだ。
「よしっと……、終わったぜ」
「わーい、キバナ君に乾かして貰ったから、いつもより早く乾いたー」
「次からは自分で乾かせよ」
「え〜、次回もお願いします」
「ダメだ。今回だけだって。俺様はちゃんと言ったぜ?」
そう言うと、
むぅ~、と不服そうに両側の頬っぺたを膨らませやがった。
「キバナ君の意地悪!」
見てて飽きないんだよな。
笑ったり怒ったりと表情をころころと変えるから。
そんな菫を毎日見てるせいか、俺様まで自然と穏やかな気持ちになる。
「ほら、明日も仕事なんだろ?
夜更かしせずに、ちゃんと寝ろよ」
「キバナ君の方こそ、夜遅くまでお勉強すると、
体に悪いからダメだよー?」
菫が出ていったら、勉強の続きを再開しようと思ってたのに、
思い切りバレてるじゃん。
仕方ねぇ、今日の勉強はナシだな。
「はいはい、もう分かったから……」
手を置いて軽く撫でると、嬉しそうに笑みを零す菫が可愛くて、
とうとう、我慢出来なくなった俺様は少し身を屈めると、
前髪を掻き上げたおでこにそっと口付ける。
もう少し、菫の肌を堪能したかったけど、
今はまだだ、と自身を諫めるように、リップ音を残して唇を離した。
「き、キバナ君……?」
戸惑いの色を宿した黒曜石の双眸に俺様の姿が映る。
今までは菫の気持ちに寄り添うように、ずっと配慮してた訳だし、
何より、信頼関係を築き上げるのが最優先で、何もしなかったからな。
だが、俺様を一人の男として、
意識してると分かれば、手加減はしねぇ。
「──おまじない。
いい夢が視られますようにって、魔法をかけておいた」
そう言うと、俺様の行動に納得したのか、
瞳から戸惑いの色が消えたけど、
おでこにキスされたことにかなり意識してるな。
その証拠に両側の頬っぺたが赤く染まってる。
「お休み、また明日な」
「……うん、お休みなさい」
部屋の中から菫を見送ると、
机の上に置いてたドリルなどを片付けて、部屋の電気を消す。
ハイパーボールを枕元付近に置くと、
相棒にお休みと言って、俺様は床に就いた。