2022G.W.の木曽路16 上の段 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2022G.W.の木曽路16
上の段

5/4(水)⑧
 「上の段」の表示がある石段を上がると、またデジャヴのように、かつての残像と重なる光景が眼前に広がる。上がった先は、旧街道の町並みだ。


この階段を上って「上の段」へ。このあたりに見覚えが

 この通りはかつての中山道の面影を残す、素敵な街道に整備されている。


かつてここへは来たことがあった

 ここに木曽福島の祭りを紹介する資料館があった。これには「神輿まくり」という、祭りの終わりに神輿を破壊する、という聞いたこともない風習があるそうで、神輿は壊されるのが前提だから、白木のまま。これが展示されていたが、ポスターを見る限り、相当に激しい破壊劇が展開するようである。



「みこしまくり」は確かに奇祭のようだ

 

 水路のある家と家の間の細い路地へ足を踏み入れた先に、「大通寺」がある。ここは大きな伽藍に懸かる寺号の額が立派。三井親和の筆になるものだが、おそらくはその昔訪れたときにも、写真に収めたと思われる。

 

 この寺は、滅んだ木曽氏の邸宅跡に建てられたそうで、武田氏から嫁いだ、真理姫の供養塔が残っていた。

この路地を抜けると


大通寺だ


署名に「烟霞老書」とあるが誰だかよく分からず。字は立派である

 


「大通禅寺」。こちらは江戸中期の能書家「三井親和」の書。篆書は得意中の得意

 

 下って川づたいの商店街の通りに出てみると、路上駐車はさっきほどではないが、相変わらずの人気を見せる、和菓子屋の「田ぐち」から出てきた観光客は、皆さんカップに入ったアイスを食べているみたい。

 木曽福島に入るとき、車で曲がった交差点の上にある寺は西方寺、伽藍はそこそこ立派だが、境内の周囲に樹木が欲しいな。



角にある西方寺の本堂

 

 帰り道は、渡ってきた橋より一本下手に架かる、歩行者用の「行人橋」を渡り返した。こんな時、雪代で増水の木曽川を眺めながら、あそこならヤマメが付いているかも、などとついポイントを探ってしまうのはいつものことだ。    


歩行者専用の「行人橋」。木曽川は雪代で増水中



2022G.W.の木曽路17 二本木の湯につづく