2018宇治15 醍醐寺伽藍 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2018春の旅 宇治 醍醐 黄檗 坂本(3/26~30)その15

 

3/29(土)②

 参道の両側を埋め尽くす露店は後で冷やかすとして、まずは「伽藍」の区域を目指し人波の中に分け入る。参道を歩き始めてすぐに目に入るのが、左手の黒地に桐と菊の紋が金泥で塗られた豪華な門。さっき特別公開で入った時に、庭園の向こうにこの裏側が見えた。菊の紋は天皇家の印だから、勅使を迎える時にはここから、という想像はつく。

 

勅使を迎えるための門、と思う
 

伽藍地区への入り口、仁王門

 

 人混みをかき分けてたどり着くのが仁王門。ここから中を望むと、今度は新緑が目にまぶしい。これまでの桜と好対照である。

 

 木立の中の参道には、左右に延々と紅白の幕が繞らされる。この時期だけに張られるものだろう、幕の端には寄進者の名前が記されているが、それがちゃんと重ならずに見えるようにしてあるのは、この場合当然の配慮と思われた。その中に、埼玉の「長瀞火祭り奉賛会」というのを見つけた。

 

仁王門をくぐると、今度は緑が眼に鮮やか

 

紅白幕には寄進者の名前が


 「伽藍」の区域に入ってまもなく出会う、清滝宮の傍らに立つ枝垂れ桜の背の高いのに驚く。しかしこれを写真に収めたところで、それらしい感じが出てこない。

 

清滝宮前の大きな枝垂れ桜


 さて、いよいよ五重塔が姿を現した。写真を見せられて、それは東寺、こっちは瑠璃光寺、そっちは法隆寺、これは醍醐寺だな、といった具合に指摘できるかどうかは定かでないが、この塔の重厚感は半端じゃない。よく見ると双輪がかなり長く、そこにこの塔の特徴が見いだせるかもしれない。

 

重厚感が半端じゃない醍醐寺五重塔


 金堂はこのエリアの中心をなす建物、秀吉の命によって、どこかから移築したということだった。章湖はここの三尊仏がよかった、今度、東京でやるという「醍醐寺展」に持ってくるという仏像よりずっといい、と書き残している。

 

 五重塔はさすがにかっこよく、何カ所か撮影場所を探してみた。もちろん正面から桜を入れて、というのも試み、裏へ回ってローアングルで、などいろいろと。しかし、この金堂側から撮影するのが一番この塔の特徴を捉えられたかも知れない。

 

どこから撮影しても、この塔は絵になる

 ここから不動堂を越えて奥へ行くと、池の周囲の桜が美しい弁天堂だ。弁天堂と共に朱に塗られた橋が、桜の花びらを浮かべた水面に映る姿がいい。

 

弁天堂と池

 

 池に流れ込む水源は奥の山からの小川だ。山側へ回ってみると、さながら苔むした庭園の中を流れる小渓流は、これまた絵になる景色である。

 

こちらが池の上流側。この先の小径を行くとおそらく上醍醐に到ることが後から分かる


 ここから少しくだって不動堂の手前、右側奥にある木造瓦葺きの建物だが、ここがぼろぼろに壊れているのに驚いた。軒や壁には穴が開き、屋根に掛けられたブルーシートが風化して、繊維が風になびいている様が余計に哀れさを誘う。

 

 一体何に使われていた建物なのかよくは分からないが、それなりに立派な建築だ。これは寺としても人目にさらしたくはないところだろう。しかしこの区域に立ち入りが禁止されていなかったのは、近くにトイレがあるためだろうか。いずれにせよ、こうなってしまうともう復元するのは容易なことではない。

 

名刹醍醐寺にしてこれか!と考えさせられるボロボロの建物


 天下の醍醐寺の境内にある建物がこの有様とは。昨年行った台湾の、台南は法華寺にあった屋根が陥没した建物や、紀州粉河寺の奥にある、十禅律院の屋根にブルーシートが掛けてあったのを、つい思い出した。

 

法華寺の記事はこちら

 

十禅律院の記事はこちら

 

 

 

 

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