2015台湾10 20年ぶりの再会 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2015 久方ぶりの台湾 その10
20年ぶりの再会

12/29(火)①
 7時半頃起きて食堂へ向かう。窓がないことのデメリットは、朝になって分かった。外からの光が全く入ってこないから、夜中なのか夜が明けたのかが全く分からない。

 それはそれとして、ホテルに朝食の用意があるのはありがたい。台湾では皆さん、朝食を外で食べるのは当たり前で、そのための店もたくさんあるが、一旦外に出て食べてくるとなると、その後ゆっくりするのは難しいし、気ぜわしい思いをするのは避けられないだろう。

 食堂は1階のラウンジから階段を上ったところだが、ホテルの従業員は若い男の子が2人とベテランのおじさん、それにウエイトレスが一人。皆さん日本語は自在のようだ。


                    朝食のスペースもおしゃれ

 バイキング形式だが、品数は丁度いい感じ、味付けも控えめなところが好ましい。茹でた青菜が盛られていたが、これがなんとオオタニワタリだった。台湾では普通に食べられているらしい。西表島で食べていなかったら、これがなんだかは分からなかっただろう。考えてみれば、西表と台湾はお隣同士というくらい近い。

 

 早い時間帯は日本人客が多く、遅くなるにつれ、外国人の姿が増える傾向にあるように思えた。たぶん、我々が一番長居をしているのだろう。何しろ、日記をつけなければならないのだ。コーヒーマシーンがいくつもあるので、これはありがたい。


               朝はちょっと控えめに、と思うがつい盛ってしまう

 天候は、曇りだが晴れ間も見える程度、予報では雨が降ると言っていたようだったが、台湾の天気予報は余りあてにならないと見た。地形のせいだろうか、地域によってかなり天気が違うというのもファクターとしてはあるらしい。もっとも、日本では気象衛星ひまわりだのアメダスなどと、ハード面でかなりの物量を投入しているから、差があるのも無理はない。今日の気温は昨日とそう変わらないくらい、こっちでは着ないだろうと思っていたダウンジャケットが活躍することになってしまった。

 10時に峰圃茶荘ということなので、その20分ほど前に出る。今日は重慶路より西の通りを北門経由で南下していく。途中、駅の近くだが、開発に取り残されたような広い一画があり、瓦屋根が崩れ落ちていたのは痛ましい感じがした。木立があるのは好ましいが、昔の景観を残していくのはなかなかに難しいものと察する。

 北門は案外に規模の小さいもの、というよりは現代の都市開発に埋もれた格好になっているようだ。すぐそばには高架の道路が走り、高いビルが建ち並ぶのだから、一つだけ取り残されている清朝の遺跡が可哀想に見えるのは致し方ない。

 このあたりは歩道を含め、道路が広々した造りになっている。さらに南下すると歩道橋が架かっていて、道の両側にはオーディオショップが立ち並んでいる。B&WやDYNAUDIOの懸垂幕がかかっている本格派もあり、このあたり一帯にそのような店が集中していることをうかがわせる。地図で確認するとここが漢口街、この通りを歩いてみるとオーディオ屋の他にカメラショップなど趣味の電気製品を扱う店が多い。前の時にも来ていると思うが、そんなことには全く気づかなかった、というより、その頃はまだオーディオなどという妙な世界に、それほど足を突っ込んでいなかったから、記憶に残っていないのも無理からぬことである。

 店に着いてみると、社長さんがいた。今は会長だが、昔の印象とそう変わらないのは不思議なほど、せいぜい髪の毛が白くなったかな、という程度だ。

 既に店に来ていたのは、メガネをかけた大柄な日本人、この人も2年ほど前だか、劉さんに世話になったということで、我々と同じように劉さんが来るのを待っていた。

 会長さんがお茶を何種類かふるまってくれた。この人は全く日本語が自在。普通に日本人と話すのと変わらぬ会話が出来る。リストの上から3番目にある高山茶を淹れてくれたが、さすがに旨い。標高がどのくらいのところで採れるお茶だとか、詳しい説明もあったはずだが、既に定かではない。


                  峰圃茶荘の新しい店舗。中央が現会長

 他では余り扱っていない、という台湾島の形をしたパイナップルケーキも試食で出してくれた。一般の品は、中の餡にパイナップルだけでなく冬瓜を混ぜて使っているのだそうだが、これは正真正銘のパイナップル100%という。しかし、正直なところ、どうというほどの旨さは感じなかった。

 3人も待ち人がいるということで、劉さんに会長が電話をかけると、店の人が出たのだろう、株かなにかの件で銀行?に行っている、ということだった。メガネの人はそのことを知っているらしく、ああ、それじゃしばらく帰ってこないな、と言うではないか。こりゃ、今日は会えないかな、と半分諦めたのだったが、そこへまもなく劉さんがやって来た。依然元気そうで、向こうもすぐに分かったらしく、やあやあ、と握手した。本当に思いだしてくれたのかどうか、実はちょっと自信はなかった。

 いわゆる「外為」をやっているらしく、日本円を6千万円買った、などと話していたが、いざ本人に会ってみると、こちらからは、さて、何から話していいかよく分からず、昔の話はほとんどせずに終わったが、ともかく、無事に元気でいる姿を確認できただけで、とりあえず目的を果たせた、という思いだった。


                    左が会長、中央が劉さん


           20年前の写真。さすがに若いが、会長の印象はさほど変わらない

 劉さんは先にいた人とすぐに出ていったが、この人は千葉県の高校の先生だという。それを知っていれば共通の話題もあったろうに。


2015 久方ぶりの台湾 その11 台北動物園につづく