2020 再びの会津 その2
8/10(月)②
どんよりとした厚い雲から、とうとう雨が落ちてきた。隣接する、元の田母沢御用邸は一般に公開しているが、これまで入ってみたことはなく、傘をさして向かった。
雨はまだ、大したことはなかった
さすがに、大正天皇以来の御用邸というだけあって、立派な日本建築だ。紀州徳川藩の江戸中屋敷を移築、実業家小林年保が提供した屋敷と併せて合体、それに幾分かの増築を経て現在の姿になった。
御用邸の解説があるブース
ビリヤードルームもある
屋根は銅板で葺いてあるが、係員の話では、全て一枚にしてあるという。へえ、そんなことが、と思って見てみると、屋根の合わせ目には銅板が渡され、確かに全てが繋がっていた。
銅板で屋根が繋がれている
襖絵や、板戸に描かれた絵画、欄間の装飾も見事、おまけに紀州徳川藩の屋敷は3階まであった。ちょうど、カメラマンが二人、天皇が来客と謁見する、一際豪華な造りの部屋を撮影しているところに遭遇、仕切りが外されていたために、その部屋に入ろうとしたところ、係員に制止されてしまった。
板襖に描かれた絵は見事
旧紀州徳川藩の邸はさすがに洒落ている
面白いのは風呂場だ。お湯のタンクがわざわざ外に設置され、それをお付きの係が運んで入浴するというもので、天皇は裸にならず、薄い着物の上から湯を浴びた、という。
風呂場裏手にあるお湯のタンク
風呂といいながら、湯船があるわけでもなく、天皇というのはつくづく不自由な存在だったのだなあ、という感慨を持った。つまりは政治利用のために神にまつりあげられた人間の悲劇、とでも言えようか。せっかく別荘に静養に来ても、庶民のように、ドバーッと湯船に浸かって、ああ極楽、という解放感さえ味わえないのだ。
湯殿とはいえ湯船もない
皇后以下、女官の住まいは奥側の、旧小林邸の方だが、こちらも十分に立派な建築のはずが、紀州徳川藩の屋敷と比べると、目に見えて質素な造り。ただし、照明のガラスの縁に赤い装飾が入ることや、着物の裾が引っかからないように、畳の縁がシルクで仕上げてあるなど、女性向けの居宅への配慮は窺えた。
女性用の邸は照明器具の装飾がちょっとかわいらしい
ちょうど屋敷の繋ぎ目から見える、樹齢400年というシダレザクラの見事なこと。このあたりは係のおじさんの一人が、色々と解説してくれたのだが、桜の季節はさすがに混むのでしょうねえ、というこちらの問いかけに対し、それほどでもありません、という意外な答え。季節にかかわらず、さほど多くの人がここを訪れはしないようだ。
樹齢400年の風格
それはともかく、この間に襲ったゲリラ豪雨は凄かった。一枚になった屋根の継ぎ目からは滝のように水が流れ落ち、この様子を何度も撮影したほどだが、果たして感じが出たかどうか。ちょっとでも外に出たら、一瞬のうちにずぶ濡れは必定、少しは止んでくれないと、車に戻るのさえ困難、という有様だった。
もーの凄い豪雨
売店には、皇族が生まれたときには、シンボルとなる植物がそれぞれに充てられる、という習慣のあることが紹介されていた。ここの係員はさして売ろうという気はないようで、そのあたり、民間の土産物売り場にいるおばちゃんとは、熱意において相当の差がある。少なくとも生活のかかっている切迫感はまるでない。
こんなことは知らなかったが、まあ、雅びな風習だ
結局、閉館の5時ぎりぎりまで待ったが、さっきほどの豪雨ではないものの雨は残り、傘を差して車に戻った。当初、大谷川の畔にテン場を取るつもりが、雨雲レーダーによると、ちょうど雲の通り道に当たるようで、一旦止んでも夜にまた雨になる模様。そんなわけで、ここを諦め、雨雲の及ばない、よそへ行くことに決めた。
まずは、かつて行ったことのある日光温泉へ。地元の年寄りの社交場という雰囲気は濃厚、入ってみると案の定、お年を召した方ばかり、皆さん知り合い同士だ。そう広くない浴槽は大体7~8人が限度、俺を含め、男湯の客は4人、話題はやっぱりコロナウイルスのことが中心になった。そんな会話に割って入ることが出来ず、一人、黙って湯に浸かった。
日光温泉にはこれで2度目だ
近くのヤオハンで食事の仕入れ。目新しい食材は特になく、今晩はギョーザを焼こう、と安いのを2パック買った。
その後のテン場定めは迷走した。昨年の経験から、矢吹町の大池公園がまず候補に挙がる。ここの松林のキャンプ場は、届け出なしで自由にテントが張れる。しかし、那須高原にある沼原湿地の駐車場まで行けば、確実に涼しく寝られるというアイデアが頭をもたげた。雨が通ったあとは幾分涼しくなるが、そうでなければ、平地の暑さは相当のものだ。かなり標高の高い、あの駐車場からは、かつて2度ばかり茶臼岳までトレッキングした経験があり、奥の芝地にテントが張れそうだ、と確認してある。じゃあ、そこかな、とまずは那須を目指す。
日光と那須、イメージとして、そう離れている感じはしなかったが、実際にはかなりの距離がある。かれこれ3~40分、田舎道を走って、箒川を越える手前だった。章湖がダム公園の看板を見つけ、あそこはどうだろう、と言いだした。すでに箒川の橋を渡っていたから、引き返して川の右岸側の道を辿った。道はだんだん心細くなり、すっかり山中の林道という雰囲気になって高度を上げる。看板の地点から7~8分ばかりだろうか、しまいにダムサイトへの立ち入りを規制する鉄格子に突き当たってしまう。
ヘッドライトの照らす範囲から離れると、あたりは漆黒の闇だ。どんな様子か分からず、これでどん詰まりかと思ったところが、車から降りて周辺を見てみると、傍らに駐車場のような広場、トイレらしき建物もある。よし、これならテントが張れそうだ、と再び車に乗って広場に進入、すると前方、広場の奥に芝生の園地が現れた。
これを発見したときには、正直、小躍りしたくなる気持ちだった。桃の若木が植えられた周囲に芝生が広がっている。一安心したあとに来るのは、一体ここはどういうところだろう、という疑問。ヘッドランプを点けて小径を行くと、コンクリートの壁とばかり思っていたのが巨大な吊り橋のアンカーだと分かる。更に奥には自動販売機のある小屋があり、これが「もみじ谷大吊り橋」であることが判明。これを渡った先には道の駅があるはずで、章湖がかつて友人の喜多村さんと塩原を訪ねたとき、そこで売っていた¥100の桃を買い、それが結局一番美味しかったと、何度も聞かされていた場所だ。
真っ暗闇でヘッドランプがなければ何も見えない。前方は大吊り橋
テントを設営してビールで乾杯、スーパーで買った餃子は、羽根つきにしようと周囲に付いていた粉を全部フライパンに入れて焼いたら、これがかなり分厚くなってしまい、食べるのに苦労する羽目になった。ギョーザ一つ焼くのも、なかなかに難しいものである。
芝生の園地で宴会だ!
気温はぐんぐん下がって肌寒いくらいになった。車道は遠く湖の対岸、わずかに走る車のエンジン音が聞こえる程度、雨の心配も要らず、星がきれいだ。
2020 再びの会津 その3につづく