2001年東北の旅17(終)再び一関 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2001年東北の旅 その17

 

 江刺からさらに南へ下ると、とうとう振り出しの一関である。一関に入った頃にはすでに日は暮れていたが、10日前にすでに大方の調べはついていた。テン場を設営するなり自転車を組み、出発。目的地はそう、ベイシーである。今日は金曜、今度は大丈夫だろう。「コカ・コーラ」の赤字に白抜きの電飾看板にも灯が入っている。さて、と扉に手を掛けると、目に飛びこんできたのは「準備中」の文字。そりゃないでしょう。


 何のかのといったところで始まらない。それなら、どこかで飲むなりしてまた出直せばよい。だいたい僕らはまだ夕飯前なのだ。


 郊外で見かけた蔵の店に行ってみることにした。


  見るからに重厚な白壁の蔵を居酒屋に仕立てているこの店、木額に“Bothy” と書かれてある。ボシィとでも発音すればいいのだろうか。「春夏冬二升五合」にたぬきの図柄ののれんが何とも不似合いだが、まあ、いい。

 

Bothy前にて


 これまた重厚な木のドアを押して入ってみれば、なかは意外にも洋風仕立て。混みあってはいたが、カウンターに空きがあった。酒は、とみればスコッチのシングルモルトウィスキーがずいぶんとたくさん並んでいる。それも見たことのない銘柄ばかり。ハイランド、スペイサイド、アイラなどと産地名の解説もあるが、こちらの基礎知識が不足しているせいで、イメージの作りようがない。生ビールをあおったあと、ともかくショットで頼むことにした。

 

調べてみたが、どうも移転しているようだ

しかし、評価4.6なんて、見たことない!

 

 カウンターの向こうは男性3人、動きはテキパキとしていて気持ちいい。何という銘柄を選んだのか、もう思い出すこともできないが、これはどうかなと指し示したら、いや、それはちょっと、こっちの方がいいかも知れません、なんて答えが返ってくる。何でも、スコッチの、いわば地酒には、相当強い個性を持った酒が多いらしく、慣れない人にはあまりお勧めできない、というものもあるそうだ。


 せっかくなので、むしろそんなクセモノでも試してみようか、と思わないでもなかったが、料理もあることなので、アドバイスに従うことにした。


 しかしこの店、料理もうまい。特に馬刺(800円也)は絶品。腕とはあんまり関係なかろうが、霜降りの、これは最高級品と言ってよい。あんまりうまいので二皿頼んだら、どう見ても二皿目の方が盛りが多い。少し多めに切っときました、だって。うれしいじゃないの、おにいさん。


 こんなわけで気分よくほろ酔い加減になり、いよいよ三度目の正直となるか。

 

あこがれのベイシーにて


 「ベイシー」今度は開いてました。やっと運が向いてきた。先客は一組だけ。どうもマスターのお知り合いらしく、一緒のテーブルにつき、談笑している様子。僕らはといえば、大きなスピーカーからやや距離をとった、しかも正面というベストの位置に陣取った。


 うーん、さすがに強力な音。ベースがブンブン来ます。太い弦の振動するさまが見えるよう。真鍮の粉が飛び散るようなシンバルのアタック、バスドラのドシッと来る空気の動き。トランペットはいかにも金属でできています、といった響きで朗々と鳴っている。


 これはさすがにタダモノではない。


 生の音より良いんじゃないかって?そうかも知れない。でもそういうものでしょう。実物より写真の方がよく見えるなんて例は、世の中にいくらでもある。


 マスターはといえば、口ひげがいかにもダンディーな伊達男。雑誌か何かで見覚えのある顔、あの人が菅原さんだな、とすぐに分かった。レコード係から客あしらいまで、全て一人でやっているというのがいささか意外。途中、レコードが針飛びを起こし、あわてて直しに飛んでいった。上手の手から水が漏る、とはこういう事か。


  ベイシーにいたのは一時間半あまり。とりあえずここにいた、というだけで満足です、僕は。


 こんな風に昨夏の東北旅行は終わりを告げた。帰ってから、盛岡の古本屋で買った花村萬月にはまり、立て続けに長編を3冊読んだ。凄すぎる文体。暴力的かつ性描写もきわどい。とうてい高校生に勧められる代物じゃないが、はまります、この人には。さすがにキケンを感じ、4冊目以降にはまだ手をつけてません。


 高橋克彦の「火怨 ―北の耀星アテルイ― 」は早速図書館から借りだして読んでみた。


 大和政権がだんだん勢力を拡大し、東北地方まで勢力下に入れたことは、かつて学校の歴史の授業で学んだ。しかし、どちらかといえば僕らもヤマトの側の視点からしかそれを見ていなかった、とはいえないか。隼人や熊襲、アイヌや琉球だってそういえようが、服属した側のことをあまりにも知らなすぎることに考えは至る。少しは勉強しなくては、という気も起こる。

 
 そしてついこの間、古本屋でベイシーのマスターが出した「ジャズ喫茶ベイシーの選択」を見つけて買った。マスター、菅原昭二氏の「ジャズ」そして「音」への執念をそこに見る思いがした。ベイシーの店先に、この本が文庫になったときの新聞広告が貼ってあったのを思い出す。僕のはハードカバーだ。今度ベイシーに行くときは、この本を持っていってサインしてもらおう。もちろん、古本屋で買ったとは言わないで。

 


「ジャズ喫茶ベイシーの選択」が出版された記事を張り出していた


 僕にとっては一昨年のヴェトナム、昨年のバリ島に続く、玉樹では3回目の旅行記とは相なった。徒に長い文章にならざるを得なかったのは極めつけの反省点だが、これもS高校生徒会に寄せる愛情のなせるわざ、と解釈していただければこれ以上の幸せはない。それよりも、拙い文に懲りずにつき合っていただいた皆さんには感謝しなくてはなるまい。


  さて、今度はどこに旅に出ようか。
 
                      

2001年東北の旅 おわり

 

初出   埼玉県立狭山高等学校生徒会誌「玉樹34号」
       2002年3月