4回目のマレーシアで、僕は初めてストリートチルドレンに出会った。ストリートチルドレンの問題から始まった活動なのに、4回目で初めてなんて、おかしなはなしなんだけど。

とにかく僕は初めて男の子と女の子の2人のストチルに初めて出会った。5階建ての商業ビルの入り口に小さなタピオカのミルクティを売っているお店があって、僕はマレーシアに来るといつもそこに買いに行く。
いつものようにほかに用はないからミルクティだけ買って帰ろうとするとビルの脇からひょこひょこと2人の男の子と女の子が出てきて僕に手を差し出した。

あ、ストリートチルドレンだ。とその瞬間思った。僕はそのときひょっとしたらやっと出会えた、と思ったかもしれない。なにせ4回も渡航して、ストリートチルドレンの問題解決から始まった活動のはずなのに、ストリートチルドレンに会ったことがなかったから。でも僕はすぐにそのとき何かものやお金を渡しちゃいけない、と思って(それは少し国際協力をかじった学生の固定観念かも知れなかった)、ごめんな、という顔をした。もちろん勝手にすまなそうな顔をして、それだけが国際協力に携わる僕にできることだと言わんばかりだっただけなのだけど。

男の子が少しだけついてきた。僕はその場をそそくさとすぐに立ち去ろうとした。けれど、その瞬間、やっぱり何か違う、と思った。国際協力がなんだとか、そんなのどうでもよく、目の前に生活に困っている男の子がいて、手を差し出しているんだ。それにもかかわらず僕は、いやこの場で何かを渡すのは結局彼らのためにならない、彼らをストリートに依存させるだけだと思い、手を振り払って帰ろうとしている。

瞬間的にそう思った僕は、手に持っていたタピオカミルクティを男の子にあげることにした。ああ自分は国際協力の学問分野で考えたら失格だな、情に流されて物をあげようとしている。僕がこの子をストリートに依存させるんだ。そう思った。

そのときの瞬間の映像は、今でも鮮明に覚えている。僕が差し出したミルクティを男の子は右手で受け取り、ストローを口に含んで一口だけ飲むと、にこっと笑って立ち去ったのだ。

笑った。
彼が何を意図していたのか分からないけれど、とにかくそのことが今もなお、僕の頭から離れずにこびりついている。

本当にそのときの自分が情けなく、なんとその小さな男の子の気高さが身に沁みたか。結局彼らは僕が恐れていたように宿泊先まで付いてくることもなかったし、その後彼らの姿を見かけることはなかった。
僕が初めての海外、しかもボランティアとして行くことにした国はハワイだった。なぜなら両親が行ったことのある国がハワイでハワイなら海外に行くことを許してくれそうだったからだ。僕はハワイでの非日常的な日々にすぐに夢中になっていった。活火山が活動している山の麓にある豊かな文化性をボルケーノ村の2つの家庭にお世話になった。

ハワイに滞在していた2週間、僕はとても恵まれた環境の中に身を置いていた。見たこともないような豊かな自然とその豊かな自然を中心として形成されているハワイならではの文化のなかで成長する子供たちとの交流、異文化体験を通した物事への深い理解と学び。そのどれもが今思えば僕の価値形成に大きな影響を与えてくれていて、その2週間僕は間違いなく幸せだった。

それにも関わらず日本に帰ってきてからの僕はハワイに飛び出す前に感じていた悶々とした感情にもまして不快な感情を抱いていた。まるでハワイに何かを置いてきてしまったかのようにただ毎日が空しく過ぎていくばかりであった。
19歳になった年の夏が過ぎるころ、僕は悶々とした行き先のないエネルギーを抱えていた。大学に入るまではひたすら父親よりも上の大学にいくことが人生の目的で、そして僕は特に苦労することなくその目的を果たした。


大学の始めのころ僕はサークル活動に明け暮れていた。新しい友人と過ごす毎日は楽しかったけれど、一方で心のそこから夢中になれていない自分もいた。次第にこんな風に楽に毎日を過ごしていいのだろうか、と日常に違和感を感じるようになり、漠然とだけれどもっと一日一日を一生懸命生きたい、本気で何かに夢中になりたいと思うようになっていった。


僕は、新しい世界が見たかった。自分の新しい可能性を感じ、広げたかった。そんな僕にとって「海外ボランティア」という響きはとても魅力的に聞こえた。ボランティアではなく、海外だ。海外ボランティアじゃなきゃ駄目だったのだ。