今現在、40歳妻と2歳の子供と共に、埼玉県で去年妻が購入した建売に住んでいる。 


妻は准看護師だが私は専業主夫。掃除洗濯料理含め子供の世話も日常だ。


なぜ専業主夫なのか?主夫に成らざるを得ない状況だった事を書こうと思う。


後々細かく書くが、私と妻の両親は全く頼れないどころか、息子が産まれて一週間で妻の両親とは絶縁した。


私は片親で親父のみだが、いわゆるクズ親だ。


私が妻と出会った時は30歳。


今では廃れたらしいSNSをなんとなくやっていたら妻からメッセージを貰ったのがきっかけだ。


私は20代の頃から私は30歳で死のうと決めていた。


ここまで抗えない地獄みてきてなんとか生きてるんだからもう良いだろうと。


そんな時出会った時からやつれていた私に寄り添い鈍い希望の光をみせてくれたのが妻だ。


養護施設育ちの私は家庭を知らない。


肉親が家にいる当たり前の生活がわからない中で、両親を紹介して共に旅行に行き、食卓を囲う普通を教えてくれた。


だが、これが家族なのかと思う反面、妻と両親との会話に違和感を感じていた。


妻には私と同い年の鬱病を患ってるらしい弟がいるのだが、明らかにその弟夫婦に対してと妻に対する態度に違和感がある。


妻も家族に対して発言にそこまで気遣う必要はないんじゃないか?


やたら親が妻をディスるけどどうゆうこと?と。


後々この違和感は大当たりで、母親は癇癪持ちだったのだ。この先癇癪婆。


父親の方はそのやべータイプの癇癪婆に物言うのが面倒なのか知らんが、癇癪婆の言うことはyes爺。


思い返せば、昔の思い出話で突然泣き出し声を荒げる場面が何度かあった。


全て癇癪婆発動していたのだ。


yes爺がそれ以上発狂しないように宥めてたのに納得がいく。


義両親共、某宗教の学会員なのだが、やはりこの宗教の人間は頭おかしい奴らだと確信した。


私の親父の一族も揃って某宗教の学会員だ。


宗教の教えさえ守ってお経を唱えていれば自分自身は間違っていない、正しい、どんな状況だろうと幸せになれると思ってるらしい。


故に、人を傷つけようが自分が間違っていようが、まず自分の非を認めない、極めて身勝手な奴らだと私は思っている。


妻と出会う前の人生は後々書くが、


私は妻と出会った当時、働く意欲すら湧いていなかった。長い間パチプロだったのだ。


妻と出会って同棲してからバイトからリハビリし1年半が経った頃、妊娠していた妻が産休に入るタイミングで正社員の仕事を探す事を決めていた。 


共働きであれば尚更金銭面の余裕もできるし、1歳から預ける予定であった保育園のお迎えも義母が行ってくれると言っていたからだ。


妻はギリギリまで勤務していたので、私は妻が産休に入ってすぐにリクナビのオファーから求職し、世間では底辺と言われるだろうが、警備会社、小売、某アミューズメント会社に内定を貰っていた。


その中からどれにするかは子供が産まれてから決めようと妻と話は纏まっていた。


少しずつ、自分の人生が明るくなってく気がした。


だが子供が産まれて一週間で崩壊する。


1ヶ月を目安に妻は里帰りをしていた。


妻は18歳で看護専門学校の寮で親元を離れて暮らしていた為、実家に1日以上泊まるのは20年近く振りになる。


元々やたら気遣いする性格だったので、癇癪婆への気遣いと、3時間起きの授乳、出産によるホルモンバランスが崩れて少し情緒不安定になるのもおかしくはないだろう。


むしろ誰にでも起こることだからこそ、フォローのための里帰りだと思う。


こんな事子供2人産んでたら尚更分かる事だし、


大体の旦那達もわかっている事だろう。


妻が里帰りして一週間で、その事もあり、私と数年毎日一緒にいて離れてる寂しさもあって帰りたいと言い出した。


気持ちを理解していたし、そうなっても無理もないと思っていたが、まずは妻の体も心配だったから

3週間は回復に努めて欲しいと思った。


なのでこの時は癇癪婆も気持ちも分かるだろうと、一緒に妻を宥めてくれるだろうと期待して、


息子を寝かせ、妻と癇癪婆と3人で話しをした。


寂しいみたいと伝えた途端期待は脆くも崩れ去った。


突然テーブルをぶん殴り癇癪発動。


寂しいってなんやー!それでも親になれるとおもっとるんかー!!


???  私は癇癪婆のまさかの行動に は? 


と思いつつ、いやいやいやと、ここは一緒に宥めてくれる所じゃないんですか?と冷静に話した。


だが烈火の如く罵声を浴びせ続け、遂に泣き出す妻。 


今日は帰れと吐き捨てる癇癪婆。

私はこの時走馬灯の様にこいつらが今まで私に言ってきた事がフラッシュバックしていた。


親族になったんだから自分達を本当の親だと思って良いんだよと。自分達の親は自分達子供をしっかり面倒見てくれたから自分達もそうしたくてしてるんだよと。 


生い立ち上、そう言った言葉をすんなり信じられる私ではないけど、約4年間聞かされてきた。


だから少しは信じてたんだけどなあ?


あんた言ってたよなあぁ?


まだ生後1週間の息子の前で、妻の涙をみて抑えてた感情が爆発。


私も烈火の如くブチギレた。


どれだけ癇癪婆に正論言っても認めない。


ここで妻が仕事中のyes爺に電話。


たいして話も聞かず二人でやっていけとの返答。


ここでこいつらは本物のクズだと認識し、絶縁突きつけて2人を連れ出し早2年。


内定決まってたしバイトも辞めていた。


もはやフォローできるのは私だけになり内定辞退しかなかった。


妻の復職を早める話もあったが、妻は1年は育児したいとの事で尊重した。


私は新しく探そうと思ったが、私達は2人共バツありだ。


妻は子なし離婚だが、私は子あり離婚を経験している。


その時は、自分が食えなかった経験上、とにかく金を稼ぐ事だけに集中していた。


故に家の事、育児疎かの典型的なダメ夫だった。


経験も踏まえて考えて、私自身そもそも普通の家庭を知らないんだから、学ぶ必要があると思った。 


妻と相談し、借金はしたけど復職まで2人でこの子を育てようと決めた。


そうして一気に去年の12月の話になる。


前回住んでいた借家の契約期間が近くなり、


妻が年齢的にも戸建てがほしいというので色々内覧し、私は納得しなかったけど今の家を買うことになった。


住み始めてから私達は話し合い、妻は正看護師になる事も考えている事もあり、


正看護師支援、私が働きに出れる為に保育所付きの病院に変える事を話していた。


そんな矢先。


正看支援をしていない勤め先からまさかの授業料など免除するから正看護師になって欲しいと要請が。


妻は准看護師でありながらリーダーを努めていたりするから要請があったらしい。


嬉しい反面、私は覚悟を強いられる事になった。


学校は2年。


保育園は空いてないし、幼稚園に子供が入る3歳まで無職確定。


その先はパートタイムの道しかないだろう。


職歴としてはただでさえ終わってるのに更にとどめを指すようなものだ。


ただ私自身安定して務められるとは言えないし、不安も大きい。


なら未来を見据えて正看護師になる妻を支えたほうがいいと。


そうして了承したわけだけど、毎日が酷く鬱だ。


私は25歳頃に入院手前の鬱病だと診断を受けて半年間サインバルタ60ml.10代からの不眠症の為、ほとんどの薬が効かず、フルニトラゼパムを服用していた。


この間は言葉通り感情の無い人間で、睡眠の質は常に悪夢を観る様な寝たんだか寝てないんだか分からない状況だった。


やたら空いていた心療内科だったけど、担当してくれていた副医院長がここの病院を退職するとの事で先生と話し合い、通院を辞めた経緯があり、


正直全く治っていない。


幼い頃から地獄を見てきているからか、酷いことが起きてもこれ以上悪くならないように心にストッパーがあったと思う。 


でもそのストッパーが今はほぼ外れかけてるのが分かる。


可愛い息子も、愛すべき妻もいる。


私が死んだら息子に可哀想な想いさせるのもわかる。


だけど、むしろ私が死んでいた方が妻も息子も幸せだろうという思いのほうが強い。


なので私は二人の前からいなくなるのではなく、確実にこの世から消えた事実を作る為死ぬことを決意した。


次は生い立ちを書こうと思う。