努力は報われないのか | 国家資格3(社労士、行政書士、社会福祉士)つをもて余している私の社会保障・労働問題考察

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3つの国家試験合格者(登録をしていない)が語る社会保険や社会保障に関する考察,労働問題に加え、日々思うことを適当に語ります

 こんにちは。努力は報われないと言われる社会ですが、私見としてはそもそも「努力」という言葉の解釈を履き違えている人が多いと思います。大前提として、「努力」しているかは決して自ら判断する事ではなく、あくまでも他者や世間の評価にて決まるものです。真に努力をして何かを成し遂げて人は、自分はやるだけ事をやったに過ぎないという趣旨の発言をします。

 つまり、あるAという事柄を達成したいと考えた場合は、それには何が必要か、どの様にやれば上手くいくか等を計画し、実際にそれを実行し、時に見直し、また取組むといった、仮にそこまで意識せずとも一度は聞いた事がある「PDCAサイクル」に基づくでしょう。これを傍から見れば「あの人は努力している」と評価される可能性が高いのですが、努力とは「がむしゃらにやる」、「ひたすらやる」、「根性」といった精神論に陥ってしまうと達成できず「努力は報われない」という被害妄想に囚われてしまうのです。ここ最近の論調として、精神論は目の敵に合っていると言っても過言でありません。特にいわゆるブラック企業の特徴としても挙げられ、苦しめられている人もいるので私も精神論を過度に強調、ロジックなき精神論には否定的です。また、有名人や自分が成し遂げたい事と同様の事を達成した人の発言や著書をそのまま自分に適用し、盲信してしまうのも良くある話です。

 しかしながら、なぜか自身が何かを成し遂げようとすると、やはり精神論に陥ってしまう所に、社会に根強くある精神論の闇は深いことを思い知らされます。更には、一人ひとり違う、個性、自分らしさという言葉が幅を効かすにも関わらず、最終的には人に流されてしまうのも、日本社会の不思議な所でしょう。

 上記に挙げた人は必ず「努力は報われない」と不満を言います。自分に合ったやり方を見つけ、それを自分なりに発展させ、効率良くやるのが「努力」です。正しい努力をできる人は多くいると思います。多数の人は解釈を誤ったに過ぎません。安易に「努力は報われない」と発言することは、様々な社会的制約や制度の不備等で本当に報われない、国家として手当をしなければならない人達が霞んでしまうのです。