作品について https://www.allcinema.net/cinema/16278

↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。

 

・ジュリー; ジュリエット・ビノシュ☆

・ジュリーの夫;作曲家

 

同乗した自動車事故で、夫と娘を失くしたジュリーは

戸建ての自宅も夫の遺作も“処分“して
ひとり、アパートに移り住んだー

 

冒頭の車から、青を意識させる演出で攻める。

そして

ジュリーの泳ぐプールの水面や

部屋を飾るガラスモールの青い揺らぎが

心をざわつかせる……

 

作品は、ジュリーをどこに連れていくのか…

 

 

▼~▼内容にふれて雑談です。(ネタバレ!)違うときスミマセン

▼▼▼

 

まずは、悲しみ…

夫と子供を一瞬にして失ったジュリーは

収容先の病院で、服薬自殺を図るが

「死ねない」

死にきれなかった…

 

こんな悲しみは、いかばかりかと思う……

周囲は、励ましや希望を、口にしたくなるが

それがかえって、辛くもあるだろう……

(色で言えば、ブルーというより

限りなく黒に近いグレーか)

 

思い出の残る家を処分(売却)しただけでなく

夫の遺作(楽譜)も、捨てたジュリー。

 

せめて遺作は、世に出したほうがいいのではと

私は思ってしまうのだが、ジュリーは

誰のものにもしないかのように、捨てた。

(それが愛であることも……?)

 

しかし、夫には、仕事上、何人も関わっていて

“コピー“(バックアップ?)を持つものがいた。

夫の急死を記事にしようと、訪れたマスコミを

ジュリーが拒否したため、ほかを当たった結果

夫に関する番組が、出来上がっ(てしまっ)た。

 

そこには、廃棄したはずの夫の曲があり

ジュリーの知らない若い女Bが

親しげに夫と一緒に、カメラに収まった写真もあった。

 

今まで、悲しみで感情を封印してきたようなジュリーの心に

波風が立ったーと思う。

 

(その前に、夫の死後、夫の関係者Aと、“親しい関係”を持ったジュリー。

喪失の心の乱れが、そうさせたかもしれないが

それは、悲しみを免罪符?にしたかもしれない….

よろしくはないですが………)

↑こーゆー役が、ジュリエット・ビノシュはぴったり☆(^^)/

普段は、きっちりしていて、乱れるときは

悪びれずに、正当な理由があるかのように

線をはずれるーー複雑な内面の女が、良き☆(^^)/

 

夫の曲を、世に出さないことで

亡き夫を自分だけのものにしたかったかもしれないが

もはや、世に出てしまっただけでなく

夫を“自分のものにしていた”ほかの女Bの存在には

かなり、ショックを受けたはず……

 

(自分もAと関係した感情があったのだから、

夫もほかの女Bと関係したことは、不思議ではないことかも…

よろしくはないですが……)


彼女Bを捜して、逢いに行ったジュリー。

彼女Bは、夫の子を身ごもっていて、尚、ビックリ!

 

その前に、アパートの隣人に娼婦がいた。

彼女は、住人たちから追い出し署名されていたが

ジュリーが署名しなかったので

追い出されずに済んだことを、感謝していた。

 

その娼婦と、彼女Bが、重なるわけではないが

人への優しさが、ジュリーにあった。

ジュリーは、彼女Bと子供のために

売りに出した自宅に、住まわせることにした。

家は、雨風を凌ぐ場所にすぎないわけでなく

想いや思い出が、宿る場所。

夫と子供と生活したところ。

いくら、夫の(次の)子が住むとはいえ

自分の生活があったところを提供するのは

優しさの割り切りがないと、できないと思う……

 

そうすると、劇中でもあるように

愛が至高の存在―ということになるのかもですが……

私こと、そんな安直に(汗)、愛にたどりつけません…orz

 

で、思ったんです……

夫の死後、愛人と子供の存在に気づいた妻が

大きな正妻の愛で、悲しみを凌駕するほどの大きな愛で

愛人たちを包みましたー

という、心あたたまる話であれば

本作は、「青」ではないでしょう………?

 

確かに、なかなかできることではない優しさを

ジュリーは示したけれど

私なら(汗)、人としての優しさを示したとしても

心から受け入れることは、(まだ)ムリ……

知らん顔を通して死んだ、夫への気持ちも

愛と呼ぶには、宙ぶらりんになる…………

いやむしろ、心さむいですヮ…………

 

だから「青」なのかな…………????

 

▼▼▼

 

青のイメージは、涼しさ・寒さ・憂い…もあれば

青空のように、突き抜けた爽快感もある。

それぞれに感じながら観る作品なんですね。(^^)/

 
 

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