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↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。

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オダギリジョーさんが、画家:藤田嗣治さん(以下フジタ)を演じます。
↑上記のとおり、フジタの人生は、ざっくり言うと
戦前、パリで活躍したあと、
第二次大戦中は、日本で、軍の要請で戦争画を描きましたが
戦後、戦争協力を非難され、再び、渡仏し、フランス国籍を取得し
帰国することなく、没っした――ということです。
 

そんなフジタの人生の、どこをどう、映像で見たいか――は
各人各様かと思いますが
私は、戦争画製作を非難されて、やむなく、日本を離れざるを得なかったフジタを
観たいと思っていました。
 

しかし、言ってしまいますと、そこは作品にはありません。
封印?いや、そこは暗示的になっていました。
その意図は、むしろ良かったのかもしれない。
 
 
▼~▼ 内容にふれて雑感です。
 
▼▼▼ 
 
1.パリのフジタ~“陽”
 

冒頭は、パリでの生活。
前髪パッツンのフジタの姿に、本物を見たような気でいると
彼・フジタは、面相筆で、顔の輪郭をすーっと描いてみせた。
う~~ん、この“ひと筆“で、フジタ度が急激にアップし
フジタの世界に入る……
 

認知度が上がれば、絵が売れるので
パリでは、フーフー(お調子者)と呼ばれることを好み
バカ騒ぎをすれば自分に近づけて絵がきれいになる――と
仮装パーティ(フジタナイト)で、盛り上がるフジタ。
 

フジタの乳白色が生かされた絵画制作も
もちろん、披露☆
 

やがて、第二次大戦が勃発。
フジタは帰国する。(画面上は説明なし)
 

、日本のフジタ~“陰”あるいは“深”
 

日本では、五番目の妻と過ごすフジタ。
 

意高揚のために描いた絵は、全国を巡回し
鑑賞者が、涙するのを見るフジタ。
玉砕の絵は、その死を看取ることができなかった戦死者の家族が、
あらためて死を悼み、悲しみを寄せていたように、思えます。
 

戦意高揚が目的とはいえ、その戦争画は
遺族には、視覚を通して、死者と死の痛みを、分かち合えたものに思えます。
(この絵のために責められるものでもなかったのに、という想いが感じられます)
 

して、疎開先の青年に赤紙が来ました。
出発の前に、青年は、キツネに化かされる話を、フジタに語ります。
意味深でしょう?
青年の召集や、戦争も、何かに化かされているのかもしれない。
悪夢なら、早く覚めてほしい。
 

フジタの画家人生とて、パリの成功・戦争画・戦後の非難――
何かに化かされていたのかもしれない…….
それを象徴するかのように、そこではあたかも道化のように
将校のマントを来て、村を歩くフジタ。
いや、歩くというより、化かされて彷徨うというべきか……
そして、ダメ押しに
漫画チックなキツネが、ピョーンと跳ねていく画面―――
 
 
3.フジタ礼拝堂と川の流れ
 

その後、“戦後の非難“のシーンはなく
フジタ礼拝堂が映しだされます。
そんなこんなあって、渡仏し、
晩年になって、フレスコ画を手掛けた礼拝堂です。
 

そんなこんなあったフジタが、晩年、どんな気持ちを託して
絵を描いていたのかなぁ……というより
彷徨のあと、ここにたどり着いたのですね……と言う気持ちになります。
 

そして、絵(戦争画)が、川の水に浸っているようなシーンで終わります。
川ならば、流れそうですが、そこに留まっているのは、沈んだから????
(戦争画のことは、水に流そう――と言う意図ではないらしい……
 

劇中、フジタが諳んじる、アポリネールの詩。
“時は流れる 私はとどまる” ――ということなんだろうか……???
そのとき、時代に否定されたとしても、
あの絵の前で涙した人の想いは、あの絵によりどころを感じてくれたものだとしたら
あの絵は、沈む運命であったとしても
時代に流されるものではないゾ!との作者の想いなのでしょうか……
 
(解釈違っていたらすみません)
 
 
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ドキュメンタリーのような説明調ではないので
いきなり、何ページも進んでしまったような印象も、ありそうですが^^;
フジタの“戦後のダークサイド“な部分に、焦点をあてなかったことは
肩すかしではなく(汗)
敬意だったのかもしれません。
 

田嗣治として、レオナール・フジタとして――