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↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。

・浅丘ルリ子  :自宅で自殺した作家
・加藤登紀子 :編集者/同居人
・鈴木京香  :モノ書き
原田美枝子富田靖子西田尚美 :モノ書き/作家の縁者
 
↑錚々たる女優たちの、ひしめき合いです!
(↓記憶曖昧なところはご了承くださいませ)
 
 
4年前の第2木曜日、耽美派の女流作家が、自宅で服毒死したとき
ダイニングで食事していた5人の女たちは
その後も、毎年、第2木曜日をはさんだ三日間、作家を偲ぶために
彼女の自宅に集まった。
 

4年目のその日、彼女たちあてに、届いた花束に添えられたメッセージを機に
「私が殺した」という発言が、飛び出す。
作家は自殺か?他殺だったのか?
作家の死について、女たちが語りだした――
 

――と言うと、作家の死の原因究明ミステリーのようですが
(その面もありますが)
自分の死に、耽美派作家ならではの、“企み”があったのがスゴイ!
(浅丘ルリ子さんが、冒頭の死体役だけであるはずがない!^^;
 

▼~▼ 内容にふれて雑感です。(結末ボカシ)
 

▼▼▼ 
 

作家は、晩年、“書けなくなった“ことに
モノ書きの彼女たちは、当然、気づいていたのが、いたわしい……
“書けない“コトを、一番痛感していたのは、作家本人のはずだから。
そして
晩年の“作風の変化“は、”書けない“コトでなく
別人=ゴーストの存在をほのめかす。
 

身内の誰かを、“後継者“にしようとしたこともわかりますが
そうまでした作家の意図は、何か?
書けないことを知りつつ、まだ認めたくないプライドのため?
 

あふれる才能で読者を虜にしてきた、人気作家のプライドは
浅丘ルリ子さんの表情や仕草で、十分、伝わってくる。
(ああ、読んでみたい。どんな耽美な世界に引きずり込んでくれるのか!)
 

一方、書けなくなった作家に対して、
彼女の“引き際”を、ほのめかす小説を書いて
送りつけたモノ書きもいたことがわかる。(彼女らの一人)
 

尊敬すべき作家だからこそ、駄作を世に出して、自らを貶めないでほしいー
引き際も、耽美的にキメテほしい――
という愛のムチ?であっても、“ほのめかし“の小説は
直接の言葉よりも、含むものが厚い分、ずしんと身に応えるものかと。
 

かくして、毒を隠し持っていた作家が、“服毒自殺“したのは
筆を置いたということですね――と納得できるけれど
かつて絶賛された作家が、簡単に幕を引いたわけではなかった!
 

物語が落ち着いて、油断していたときに、そのスイッチが入る。(←ニクい!)
作品の見どころの美味しそうな料理と、
テンション上がった、彼女たちのおしゃべりの中
キッチンで、ソレに気づかされる―――
そして、あらたな検証と推理が始まった…………
 

作家は、モノ書きの親族女子たちに、
自分の死について、書きたくなる・書かざる得なくなる・書くべきである――
という“企み“を、遺していた。
 

して、“真実“は―と言うと
思いやりを、毅然とした佇まいの中に見せたアノ方が、
想いを深く、見せてくれます。(この風情は映画ならではかと)
 
 
▼▼▼ 
 
 
木曜日――平日のなんでもなかった日が
ある日、一生を左右する、特別な日になるかもしれない。
 

死者のために集った木曜日に振る舞われた、
手のこんだ美味しい料理の数々とワインは、
残された者たちに、生きている喜びと力を、与えるもののよう。
 

木曜日は大人の時間が流れる――と言う。(セリフより)
死と謎――という不安要素さえ、
思考と会話と、美味しい料理で楽しむ
極上のひとときは、まさに、大人の時間☆