↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
ある事件の真相を秘めたまま、十年後に切腹する覚悟を決め
藩の家譜をまとめる戸田と
戸田の最期の三年間、監視権助手を務めた、壇野。
これは、言い訳もせず、ただ覚悟に向かい、生と死に向き合って生きる
戸田の潔さにも魅了されますが、フィルム撮影の風情よく
心に響く作品でした。
▼~▼内容にふれて雑感です。
▼▼▼
1.ミステリーの部分
そもそも、何があって、戸田は切腹することになったのか…
「詮索は無用に願いたい」と、戸田は言いますが
壇野でなくても、気になるところ。
戸田は、ただ、端然と死を待つ男――というだけでなく
ものすごい“使命“を、背負わされた男の像として
真相に迫っていく、ミステリーの面白さがありました。
過去をさかのぼるとき、そこには“事実”と同じく
揺るぎない個人の“心情“が、あります。
それを、知らなければ知らないで、歯がゆいですが
知ったら知ったで、もっともどかしくなってしまう……
2.歴史は鑑(かがみ)?
戸田が死ぬまでに命じられた、家譜の編纂。
藩の歴史書だから、都合の良いことだけ、残したいもの……?
歴史の歪曲や捏造…
その時点では、真相を知る人がいても、ひとたび、文書化・記録化されると
それが、“事実“になってしまう……
歴史を映す曇りなき鑑(かがみ)とは、その真偽を見定める
冷静な良心が無ければならないかと……
(でっち上げたウソを、のぼせながら、吹聴すべきじゃないよと)
一方、事実を暴くことが、必ずしも、正しいと言い切れないのも
人間社会のイヤらしさでもある……
そのために、自らを悪者とし、ひとりで、責めを負う戸田は
守るべきもののためには、名誉と命に代えても、守るという…………
そんな家譜を記録する、戸田の胸中は、いかばかりか……
そんな記録・家譜とは何ぞや!
歴史とは、歴史は鑑(かがみ)とは、何ぞや!(>_<)
3.“理不尽”と“生きる支え”
わりと、自由や勝手が、謳歌できる昨今です。
それなりに、もちろん我慢も必要ですが
各位の思い通りの人生などほど遠かったんだな……と
再認識させられる、封建時代には、“理不尽”がそこらじゅうに…orz
藩の存続のため、一人で不名誉を背負った戸田だけでなく
壇野とて、納得しがたいトラブルの処分として、戸田のもとに来たわけで
農民らは、法外な年貢の取り立てや
身分制度による、理不尽な扱われ方で、命も落とす。
そんな理不尽な社会や時代のなかで
何が、人を生かし続けてきたのか……と思ってしまう……
けれど、その中で、“生きる支え”という語が、ありました。
苦境の中でも、縁(えにし)で結ばれた誰かを、縁(よすが)とする心が
自分を生かす――
あるいは、“義を見てせざるは勇なきなり”(by論語 )
理不尽な友の死に際し
友情の絆が、どうしても赦せない怒りを、正義に変えて、一矢を報いんとする――
そして、理不尽を承知の忠義を、自分の生きざまとし
「死ぬことを自分のものとする」という、孤高の誇り――
彼らは、理不尽を前にして、なんとなく生きてなどいない。
「一日一日を大切に生きる」
その言葉が、生きる気迫となって、ずっしりと、心に響く………………
▼▼▼
思えば、どの人も、限りある時間を生きているわけで
誰もが迎える“その日”まで (姑息なズルなどせず)
自分に恥じない生き方をしないといかんな……と、襟を正される想いがしますね。
壇野が、ひとり見せる刀さばきも、移りゆく刹那の時を煌めかせ
美しい。