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↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
 
レフ・トルストイのこと→コチラ
 
 
・トルストイ :クリストファー・プラマー
・妻ソフィア :ヘレン・ミレン☆
・青年ワレンチン :ジェームズ・マカヴォイ

弟子チェルトコフ氏 :ポール・ジアマッティトルストイ運動推進者:
                                   (一言で言えば、禁欲的な運動)
 
 
晩年、トルストイは
禁欲的な運動を推進し、著作権その他遺産を、妻でなく、国民に遺そうとしました。
トルストイの遺言をめぐり、その支援者と妻との対立がメインのようですが
妻役のヘレン・ミレンが、強烈なインパクトを放っていました!!
(欲張りと罵られる妻ソフィアですが(汗)、欲張りでも悪妻でも、ないですよ。^^;
 
 
それと、作品に、ひときわの印象を、与えてくれたのが
トルストイ主義信奉の青年:ワレンチンでした。
 
 
“終着駅“というタイトルもですが、そこに”たどり着く”という経過や結果を
意識させるものでした。
 
 
▼~▼ 内容にふれて雑感です。
 
▼▼▼
 
1.夫婦のこと
 
 
『アンナ・カレーニナ』発表の後ぐらいから、清貧と禁欲に没頭していったという、トルストイ。
アンナが、究極に、色恋の破滅ですから
その後の心のやり場が、清らかな生き方になったと言っても、不思議ではないかもしれません。
 
 
それに、トルストイは、伯爵です。持ってる人です。
しかも、若い頃は、放蕩?との噂も……
若い頃とは、まったく反対の生き方をすることにした晩年。
 
 
想うに、彼が、そこに至ったのは、真逆の生活を経験したから、だと思うのです。
そんな“経過”があったから、トルストイ主義に至ったのではないかと。
 
 
そして、恐らくですが、彼は、実生活感は、妻ほど強くなかったのではないかと。
ダンナ様は、生活感そのままの家事・育児から、妻よりも、遠くにいることもありますよね。
(奥様が財布の中身をやりくりしている苦労も知らずに、理想をのたまうことありません?^^;
 
 
著作権放棄も、国民の財産にする、と言えば聞こえはいいですが
彼の悪筆を読みとって、清書していた妻からすれば、その仕事は、自分の成果でもあると思うかと。
彼の子供も10何人も産んだという、妻の涙には、二人の生きてきた道のりの重さが
しみじみと、そこにある……(涙)
 
 
相続のことは、妻には、具体的な生活費云々の問題だけでなく
彼との二人三脚・一心同体の業績のことでもある、と思っているはずです。夫婦なんですもの。
それを、ナントカ主義の信奉者を名乗って、夫婦の間に、ズカズカ入ってくる人たちを
何なんだ!と思う妻は、普通だと思いますよ。
夫を愛すればこその腹立ちですよ。欲じゃないです。
 
 
夫婦の仲を裂きたい信奉者:チェルトコフ(ポール・ジアマッティ)の強い嫌味っぽさは、絶妙です。
家出し、途中の駅で危篤になったトルストイにも、なかなか逢わせてもらえない妻。
妻のもどかしさ、怒りが、生々しく伝わって、共感します。(その辺は、素晴らしい!好演です!)
 
 
そして、臨終間際、もう意識があるかないかわからないときに、やっと夫に逢えた妻……
妻の夫への語りかけを通して、夫トルストイの胸の内も、察することのできる
想いの深いシーンでした。
 
 
この夫婦のたどってきた人生の道は、誰にも、遮ることはできない……
夫婦ともに、同じ終着駅にたどり着くのだ……
駅で亡くなったトルストイの死は、そう、告げているかのように感じられました……
 
 
2.終着駅はたどり着くところ
 
 
そんな“終着駅“は、やはり、終着駅なんだなと……と印象付けてくれたのが
青年ワレンチン:ジェームズ・マカヴォイ演じる清廉な青年です。
 
 
彼は、禁欲のトルストイ主義を信奉し、それを実践すべく
彼のもとへ、“弟子入り”します。
しかし、同じ信奉者で、発展家?の若い女性に、押し切られ(押し倒され?(>_<)
恋に落ち、愛の喜びを知ってしまいます……
 
 
……知ってしまいます、と言いましたが、普通のことです。(*^_^*)
トルストイとて、若い頃の若気の至りを通り抜けて、禁欲に至ったのです。
 
 
終着駅は、始発駅から出発して、線路を通って、たどり着くところ。
始めから、終着駅にいるわけでは、ないんですね。
 
 
ワレンチンの言葉を借りれば、この世は、不完全な男女で成り立っている――
 
 
理想とは、かけ離れた現実という醜い世界で、知性よりも、喜怒哀楽の感情に流されて
生きるだけが精一杯の、不完全な生き物……
しかし
彼らが懸命に生きる営みに、愛の経過があってこそ、次の理想が生まれるのではないか……
 
 
恋心で、新たな命を吹き込まれたようなワレンチン☆
若い時は、それでイイと思いますよ(*^_^*)
(注:経験として失恋も含めて可^^;
 
 
トルストイ自身としては語られない、若い日の彼も、(ワレンチンを通して)
始めから巨匠ではなく、生きる歓びを妻と分かち合った(不完全な)若人だったとの
想いがよぎり、作品を、より人間的な温かみのあるものに、仕上げたように思えます。
 
 
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トルストイ役は、長い髭で、誰がやっても同じというわけでなく^^;
クリストファー・プラマーの大きな存在感が、作品の大黒柱になっていました。
 
 
そして、そんな彼以上に、生き生きと妻の立場を
代弁してくれたヘレン・ミレンは、圧巻でした!
もはや、悪妻などとは呼ばせないヮという、説得力がありましたネ……
 
 
駅で死したトルストイ。
人生の経験・経過をいろいろ得て、たどり着いた終着駅
そんな想いが、強く残った作品でした。