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あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
 
 
独特の作風を感じるワイダ監督作品です。
 
 
水面に葉(菖蒲)が揺らぐ冒頭のあと
主演のヤンダの独白に映ります。(←これは事実の激白)
 
ヤンダは、この作品に入る前後で、夫の病死を体験しています。
 
物語は、ヤンダがマルタと言う女性を演じます。
 
 
▼~▼、内容にふれています。
 
 
▼▼▼
 
マルタは、第二次大戦中のワルシャワ蜂起で息子二人を亡くし、
医師である夫と暮らしています。
夫は、マルタに腫瘍を見つけますが、マルタには真実を隠します。
あるとき、マルタは、青年ボグシと知り合い、川辺で待ち合わせて、泳ぎます。
折しも、聖霊降臨祭のための菖蒲を、ボグシは、泳いで採りに行ってくれますが、
溺れてしまいました…….
 
この物語だけでも、
 
・自分が気づかぬまま、襲い来る死の足音
・若さの前にも、突如現れる死の影  
 
菖蒲が匂わせる、春から夏にかけての移ろいゆく季節のなかに
とどまらぬ命=避けられない死、というものを、1つ、見せているようでしたが
そんな物語に、主演女優の夫の死、と言う事実を織り交ぜることで
独特の個性が発揮された作品、となったようでした。
 
 
ボグシが溺れるシーンで、マルタ(=ヤンダ)が、突然、逃げ出してしまうのもそう。
「どうしたんだ?」と、ざわつく現場は、ハプニングを思わせる。
(でも、その後もしっかり、カメラは追っています^^;
 
 
ボグシが死ぬかもしれない!という恐怖が、マルタを襲うのですが
それは、夫が病死したヤンダにとっての “死への動揺”と重なるので
物語の“死”が、より一層、黒塗りされるようなのです。
 
 
結局、青年ボグシは溺死してしまい、マルタは号泣します。
 
が、その前に……
 
 
マルタは、気分転換に、カフェで若者の様子を見るのが好きだというようなことを言い
知り合ったボグシに、本を貸してあげるといって、自宅に呼びます。
その流れで、川辺で逢うことになり、水着になったボグシの体にふれ
抱きしめるマルタなのですが……
 
 
そんなマルタの行動を、“不倫”と、表現したくもなるかもしれませんが
そう思って欲しくないです……
 
 
マルタには、いつも、亡くなった二人の息子の面影があったはずで
若者を見ていたい、という気持ちも、
息子の影を重ねて見ていたかったからだと、思うからです。
ボグシの体に触れたのは、それは、
息子をいとおしむ気持ちを抑えられなかったからではないか……
いわゆる恋愛感情とは違う。
 
 
そして、不治の病を抱えたマルタを見て思ったのは(彼女は病気を知らないけれど)
誰かを愛したり、いとおしむことが、イコール“生きる“ということなのではないか
と言うことでした。
マルタが、思わず、ボグシを抱きしめたのも、そうだと思うし
さりげなく、夫を、自分の部屋に招き入れたシーンも、そうかもしれない。
 
 
マルタが、好意を感じた青年と、川辺で待ち合わせた‐―
それは、不倫の意味合いでなく、死の近いマルタの“生きている”というエネルギーを
感じさせるものでした。
 
 
けれど
残酷にも、事故が、エネルギーあふれる若者の命をあっけなく、奪い去っていった……
“死”は誰にも止められないものだ、と言わんばかりの観念を、見せつけられます………….
(だからなのか、心臓マッサージはしないの……
 
 
そんなこんなで、救いようのなさそうな、“死”をテーマにしたような内容ですが
タイトルの菖蒲が、効いているのです。
 
 
ここでは、聖霊降臨祭に使われるそうですが、日本でも
端午の節句に、菖蒲湯に入りますよね。
なんだか、爽やかに、清められるような感じしませんか?
 
 
冒頭の水面は、なんだか、よくわからないのですが
ラストには、この川面の菖蒲だったのか……とわかりました。
 
 
菖蒲を採りにいこうとしなければ、ボグシは死ななかったかもしれないー――
もう一度、そう、思わせるかのように……
 
 
▼▼▼
 
 
残酷な結末の、絶望的な余韻でなく
水面にキラキラゆれる菖蒲の蒼さに、なんとなく、癒されるのです。
 
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