↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
釜石市で、津波被害に遭った方の遺体安置所で、ボランティアをされた男性を
西田敏行さんが、演じました。
2011年3月11日(金)
普段と変わりない様子が、そこにありました。笑顔があります。
来週の予定を、話している人もいました。
けれど、地震後に一変しました。
体が震えました………………….
予告編で、西田さんが、ご遺体に話しかけているのを観るだけで
胸が熱くなってしまって、観るのが辛いと思っていました。けれど
お気に入りさんの記事を読んで、鑑賞しようと思いました。
あの日、私は、夕方から、出張がありましたが
地震の混乱で、予定も何もなくなりました。
3月14日は、仙台のA社さんと仕事するはずでしたが
A社さんの建物は半壊して、そことの仕事は、しばらくなくなりました。
映画の中の 3月14日。
雪が降っていました。東北は、3月でも寒い。
西田さんの奥さん役の人は、家の中で、コートを着ていました。
あのときは、東北地方には、ガソリンもなく灯油もなく、家の中でもコートを着ていました。
寒かったですよね…
そうして、しばらくして、仙台のA社の人とまた仕事ができる段になったとき
年配の方が言いました。
「うちも、若い人が、津波で亡くなったんです。
私のような年寄が生き残って、申し訳ない……」
映画を観ながら、あの当時のことが、あれこれと思い出されました。
それは、出来事だけでなく、あのとき、被害の大きさを知ったときの
ショックと哀しみの気持ちでした。
鑑賞前、たまたま、他の方の鑑賞記事も読みました。
その方は、ご自分も、遺体安置所を回って、毛布をめくって一人一人
ご家族を捜したと書かれていました。
西田さんが演じた世話人のような方がいたら、
どんなに良かっただろうとも、書かれていました。
西田さん演じた世話人の方は
ご遺体にも、ご遺族にも、親身に温かく、接していらっしゃいました。
西田さんいわく、それは演技をすると言う感覚でなく、自然のことだったそうです。
大きな衝撃と哀しみにあっては、心が壊れてしまいそうです。
そんなとき、優しく温かい気持ちにふれると、それだけで、涙が出てくる……
あのとき、どこの誰もが、被災地を心配してくれて
助けよう、手伝おうとしてくれたと思います。
私も、東北にいて、助けたり助けられたりして、今、生きていられることを
感謝するばかりです。
あれから、2年ほど経って、遠方の方には、過去のことになっているかもしれません。
復興も、どこまでどうなっているのでしょう……
ちなみに、公開前日(2013年2月22日)の新聞記事で見つけました。
『東日本大震災で亡くなった方々のうち、21日に身元が判明した方は次の通り。
石巻市 〇〇〇〇 35』
……こんな2年も経って、やっと、身元のわかった人がいる……
愕然としました。
でも、身元がわかって良かった……
その記事の隣りには
『20日現在 死者 15880人 行方不明者 2694人』とありました。
一人一人の人生は、数で表せるものではありませんが
不明者の数の多さには、心が痛みます……
ドキュメンタリーではありませんが
伝えたいこと、残しておきたいことは、そこにあると思われる作品でした。
西田敏行さんの温かさに、救われます。
いまだ、身元不明の方々のことを、心に留めて……