↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。
観る前は、父と確執のあった息子が、メトロに乗ってレトロに行って(シャレ?)
若い頃の父を知ることで、和解する物語かと思っていましたが
意外な方向に 連れていかれました!(>_<)
父と息子の話は、むしろ、レールで
その上を走っていたのは、問題提議ののような、もっと大きな“人現愛”……
しかも、すんなりでなく、あのような形で……orz
ビックリでありました。
(内容に若干ふれての雑感です)
途中、ドストエフスキーの『罪と罰』に触れるので、
その“”人間愛“”の部分を、暗示して、かすりたかったのかな…と思いつつも
そう簡単に、罪とか罰と言っては軽いしな……と言う気持ちもあり……
むしろ始めは、父と息子(と愛人)という人物構成から、ドストエフスキーなら
『カラマーゾフの兄弟』に近いのかな……と思いました。
ともあれ、スゴイところに行っちゃったな……と、愕然……
若い次男が、ワンマンで愛人もいる父に反発する様子を見せたのに
月日の経った次男が、愛人とくつろぐ姿に、まず、肩透かしを食らいました。
なんだ……父親と同じじゃないか……
やはり、血は争えないナ……などと、思わせるのです。
そして、ある日、次男は
昔、兄である長男が事故死した日に、メトロで、運ばれてしまうのです。
ここでは、事故死を無かったことに出来るんじゃないか、との希望を持たせます。
さらに、父が、まだ子供を持つ前の時間に、次男は、やってきます。
自分の知らなかった父の苦労を観ることで、父への理解が
感動的に生まれるのではないか、との期待を持たせます。
けれど、このレトロの時間にやってくるのが、次男だけでなく
彼の愛人も、なのでした。
妻でなく、愛人のほうなのです。
なぜ????
それだけ、次男と愛人の結びつきが強いのか??
それは、倫理的に、けしからんと思ってしまうのですが……
その答えは、しっかりありました。
しかも、“結びつき”が、強かったからにほかなりません……(>_<)
むしろ、愛人が、ついでに、次男とレトロに来たのではなく
それが、作品の本筋だった……
『カラマーゾフの兄弟』ではなく、『罪と罰』のほうだった……
そもそも、愛人がいるなんてのが許せないし
しかも、一緒に、レトロにまで行ってしまうのも許せないヮ……
という感想のあることは、承知しております。^^;
でも、許す許せないで、この男女関係を見終えてしまうと
もったいないのです。
非合法で理不尽で、悪いコトだとわかっていても
人を愛してしまうことは、良い悪いのではないのです……
(注:不倫を許容しているわけではありません)
愛する人を、自分が幸せにしたいけれど、それが出来なければ
せめて、幸せであることを、願い、祈ります。
心安らかで居てほしい……
今、あなたと、レトロへの旅が出来て、
オムライスの話も聞いてくれて、私は、もう、充分に、生きた意味があった……
と思うならば
次の瞬間、自分が、あなたの腕の中で、存在が消えてしまったとしても
悔いはないと思えるほどの愛情を、最後の希望にしたのなら
それを 罰とも犠牲とも、呼びたくない…………
それは、とても、儚くも美しい耽美な愛ではありますが
現実的には
どんな生まれ方をしても、自分が、この世に生まれてきたことに
いささかも、迷う必要などなく、どんな境遇でも、きっと
救いの愛はあるものだ、と思うようにしています。
けれど……
何にも代えがたい愛、諦められない愛というのもありますよね……
メトロに乗って、ずっと地下深い、愛の底を観た気がしました。
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