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 作品について  http://cinema.pia.co.jp/title/157058/
 ↑あらすじ・クレジット  はこちらを参照ください
 
 
園子温監督作品は、私が言うまでもなく、独特のドギツさがあるが
好きな人は中毒になるほど、引きずり込まれるらしい。
 

園作品は、絶望を覚悟して観るのだが、
この『ヒミズ』には、東日本大震災の復興祈念があると聞いた。
園子温が希望を描くとこうなる、という感じか……
以下、結末はボカしたつもりで、とりとめなく雑感です。
(思う所、多々ありまとまらず;^^;
 
 
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震災映像(津波被害のがれき)
 
 
暴力・ネグレクト中学生・住田への虐待は、社会の病巣を描くだけでも
園子温ワールドを満足させるものだと思うが
ここに、あの震災を即座に取り入れたのは、
震災が最大の暴力という側面は否めないと思う。
 
 
あのすさまじい、がれきの光景を見て、映像人たちは、ただ、
自作の背景に使おうなどと思ったわけではないはずで、記録として残さなければならない
と思ったこととは別に、そこには、復興への祈りと希望を感じないはずはないと思う。
だからこそ、冒頭から、あの光景を映し出し、繰り返し繰り返し見せる。
 
 
確かに、ベネチア国際映画祭での上映で、その映像は、
国外の人に、震災被害を物語るものであったと思う。
けれど、特に被災者には、あの姿を見たくないと思う人も少なからずいると思う。
観たくないだろうものを敢えて見せるーーというなら、
それも、残酷な“園流”だと解釈しよう。
 
 
1つ気に留めておきたいのは、良くてがれき処理5%の、
少なくとも、ロードショー期間に鑑賞した人には、
震災は過去のことになっていないことだ。
この震災が遠い過去のことになったときとは違う、
特別な感情の目で観るはずだと思う。
 
 
そのせいか、中学生・住田が被る、暴力や困難は、
純粋な人間ドラマとしてのリアルな人災よりも
人が免れきれない 理不尽な“大災害”に置き換えて観たかった。
 
 
 
②絆 ←とって付けたようだが…^^;
 
 
住田の家の近くにテントを張って住む被災者の皆さんがいてくれて
住田を気にかけてくれるのが嬉しい。
しかも、住田さん、と呼び、丁寧に接する。
 
 
被災して、全然ふつうじゃない状況でも、“ギリギリ普通“を保てるとしたら
それは、人間の心を持った人たちが、そばにいるからだと思う。
お互い様に。まさに“絆”。
 
 
住田を“未来”だと言った夜野さんが、究極の親切をしてくれるのも嬉しい。
原作未読だが、住田をさん付けで呼んで、そこまでしてくれるのは
住田が、それなりのことをしたからなんだろうとの暗示もある。
 
 
人との優しさの絆が再認識される一方で、
震災離婚のようなことも、ささやかれていたのも事実。
最低の言葉が、象徴していると思うのだが
「お前なんかいらない」
 …………………震災や作品に関係なく、身に覚えはないか……………
 失恋・離婚・解雇……にも、その影はある。
いらない―――自分の命を否定された気がするよ……..
 
 
 
③住田と悪
 
 
逆境でも、住田は、希望を持たないことで、絶望を遠ざけていたのかもしれないが
ともかく、強く強く生き抜いているだけで、
観ている自分がくじけちゃいけないと思えてくる。
たとえ死ぬとしても、世の中のために、悪を退治しようとする気概も見せるが
やがてそれは、
元気や勇気とは異なる、冷静な判断を失った狂気に変貌したと言うべきなのだろう
 
 
けれど、普通にまともな大人になろうとしていた住田の心の底がわかるから
私も、住田から包丁を取り上げることは、できなかったかもしれない………….
やくざの親分が、ピストルまでくれちゃうのも、住田の中身を感じたからだと思う。
 
 
(やくざの親分は、悪いヤツだけど、本当の悪さをわかっている“ワル”なんでしょう。
住田の父は、自分が何を言ったかも覚えていないくらいで、
自分の悪さもわかっちゃいない。
あれは、ワルというより、やっぱり、クズなんでしょう)
 
 
④茶沢さん
 
 
住田は、“なんでもわかる。自分のこと以外は”という詩を、
住田に好意的なクラスメートの女子・
茶沢から教わるのが意味深だ。
茶沢は、住田のチアガールというだけでなく、彼女も、親から疎まれているが、
住田はそれを知らないのだ。いや、住田は茶沢を知ろうとしていない。
 
 
住田の前で、茶沢は、うるさいほど元気だ。
あの元気とうるささは、住田の言葉でいえば、“ふつう”ではなかった
それは、茶沢なりの狂気の表現だったかもしれないとも思えてくる。
自分を殺す自殺ロープ台を親が作って、赤い色に染めているー――
そんな家にいて、フツウでいられるはずがない…………
 
 
⑤がんばれ!住田!
 
 
そんなこんなで、住田が父にしたことを肯定してしまった自分も、
狂気の策略に堕ちたのか…… 
 
 
けれど、うざったい茶沢の説得が、住田と私を、ふつうに戻していく。
あんな目に遭っている茶沢の言葉は、理屈どおりのキレイ事ではないことが、
よ~~くわかるから。
ピストルの銃声が、バンバンと響いて、新たな結末が始まる。
 
 
そして、住田は走る、走る……
「がんばれ!住田!」
 これが、絶賛の“がんばれ住田”か…………………………………………………………
 
 
それは、もうがんばれない時に言ってほしくない、ヤワながんばれではなかった。
うざったいほど、そばにいて支えてくれる力。
そこには、住田だけでなく、住田がいることで、がんばれる茶沢もいる。
 
 
がれきだけじゃない。震災だけじゃない。
困難を前にした人すべてに届きそうな、がんばれ!を感じるのだ。
 
 
園子温の世界には、住田が走っても、その先に安易な希望はないかもしれない。
(たとえば、“メスブタ”でそれを感じるよ……
でも、キレイでない世の中で、ギリギリ普通からこぼれないくらいのことでもいい。
それを幸せと呼べるなら…………
 
 
ならば、絶望の先に絶望があるとは限らないー――
そういう希望もある。
 
 
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とりとめないことを述べましたが、震災が遠い過去のことになったときに見たら
また違った印象なのかもしれません……………
 
 
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