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作品についてhttp://cinema.pia.co.jp/title/23691/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照ください。


公式サイトです
http://www.disney.co.jp/toystory/


(ネタバレでもありません)


おもちゃの持ち主が、もう子供でなくなってしまった。
そのとき、おもちゃたちは......


前作を一緒に観に行った子供も、大きくなってしまいまして、一人で観てきました。
予告編で、もう、涙ぐんでしまったので、その涙に誘われて……。


子供のころのおもちゃや人形のことを、絶対、思い出すと思いますよ。
私も、母の手作り人形・“キャキーちゃん”を思い出しましたよ。
髪の毛が、黄色の毛糸だったので、欧米の名前にしたのでしょうね。
キャシーちゃん、と呼んでいたつもりらしいですが、うまく言えなかったんです。
お人形だから、いつも抱っこして移動してるんですよ。
だから、段々、汚れてしまって……。
ある日、お風呂用のかまど(昔はかまどだったのです)にくべられました。
もう汚れたから捨てなさいって、母が。
今でも覚えていますよ。かまどの中で燃えているオレンジ色の炎。
そこに、どさっと投げ入れられたところ。キャキーちゃんは、こっちを向いていました。
子供心に、すごく残酷な別れ方になってしまった、と思いましたが、
作った母は、こんなに汚れるまで遊んだのだから、という満足感はあったのかもしれません。
ご苦労さま、と言う気持ちだったのでしょう。
その日は、キャキーちゃんが暖めてくれたお風呂に入りました。


終盤、クローズアップされる、
ウッディ(人形)とアンディ(持ち主)の関係が、とてもいいですね。

他の女の子が、ウッディに手を伸ばそうとしたら、
無意識のように、さっとウッディを引っ込めたアンディ。
もう、子供の頃のように遊ばなくても、楽しかった思い出はそこにあるんですよ。

アンディがウッディについて語るシーンには涙です。
人形だけど、無機的なものとは思っていない。

自分には、それが生きているのと同じくらい人格があって
優しさと温かみを感じられるものなんですよね。


子供のころは、見るもの聴くものが、新しくて
全てが出逢いのようであるけれど、
“別れ”にも出逢ってしまうのですよね、やがて。


別れについては、アンディの母が、
がらんとなったアンディの部屋を見て、感極まるシーンにも涙でした。
子供が成長してひとり立ちしていくのは、喜ばしいこと。
でも、自分から旅立つ=離れていくのは、やっぱりやっぱり淋しいんですよ………。
(泣きすぎ?というくらい、ボロボロに泣いて、ちょっと恥ずかしかった)


良かったのは、ピンクのクマさんに仕返ししなかったこと。
縫い目をほどいちゃえ!というお怒りは、ごもっともですが
アンディ御用達のおもちゃさんたちの“心とからだ”は、
そんなことに使ってほしくないですもんね。


親もおもちゃも、子供の成長には、置き去りになってしまうのかも…。
おもちゃは、新しい持ち主に、また可愛がってもらえますが、
私などは、いったいどうしたら………??


………私のことはともかく、大人も子供も楽しんでください♪


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