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作品について http://cinema.pia.co.jp/title/13651/
↑あらすじ・クレジットはこちらを参照してください。


内容にふれて雑感です。


夫の助手の燈台守として、島にやってきた青年と
魅かれあってしまった人妻マベは、
夫が灯台にいるときに、密かに結ばれました。

映画レビューしています。(合作)
PART機http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id323065/rid13/p1/s0/c4/


PART供http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyep/id38412_323065/cid/rid1/p0/s0/c0/

 
y:
嵐のとき、
マベが、イヴォンを呼んでも、返答しないでいると、
次に、アントワーヌを呼びました。
これは、何でもないシーンですが、
あえて、考えると、イヴォンは、先に呼ばれたことに
『誇り』を持ったかもしれません。
その前に、陸地から手を振ったマベに、手を振り返したら、
実は、アントワーヌに振っていたことを感じていたからです。
そして、なかば投げやりな気持ちになっていたイヴォンは、
やはり自分は燈台守なのだ、という当然の自覚のほかに、
『マベを愛すればこそ、
この仕事をしてきたのだ』という『原点』に立ち返ったことが、
マベを愛すればこそ『マベのすべてを、受け入れられる』という流れになったのだ、
と思いました。
よその土地からやってきて、同じ女を愛した二人。
自分より、アントワーヌに想いが向いている妻。
その妻は、アントワーヌの子を宿し、彼は、去って行った。
このような状況でも変わらずに、
マベを愛することができるイヴォンのマベへの、愛は、
アントワーヌのそれよりもっと深かった.....。
劇中、イヴォンは、アントワーヌのように、マベと親しい会話を持ったり、
視線を絡ませることはなく、単なる共同生活者のような位置づけの男、
としてしか見せていませんでしたが、
全てを受け入れたイヴォンのマベへの愛情の深さは
『愛する女へすべてを賭けた』印象がありました。
私は、イヴォンは、アントワーヌを赦す、
それ以上に『受容した』という気持ちのほうが大きかったように思いました。

r:
視線の絡まないイヴォンとマベ、それはそのまま二人の現在の距離であり、
それぞれがお互いに対する『願望』の喪失でもあるのだ、と思います。
同時に、アントワーヌとの視線の交錯は、そのまま『願望』の現れ。
如才ない美しい妻としての日常の中で、やはり女として満たされていない現実、
刺激のない毎日に渇望している『女』としての内面が、
アントワーヌという異分子の介在によって目覚めさせられます。

実は、僕は、自転車を押すマベとアントワーヌが話しながら歩いているシーンが
一番好きなんです。
マべにとって、憧れの世界から来た何がしかの運命を担ったその男は、
「ここに逃げてきた」
そして、この島は「ヨソ者には冷たいところだ」と言う。
すると”何かを変えて欲しい”淡い期待に揺れていたマベが、突然に激昂する。
まさに『岩場の宝石』さながらの気高い美しさと激しさをはらんで…
それは、あるいは心とは裏腹に。
それこそが自らの運命でもある『現実』を示すように、

「私たちは私たちよ。余計なお世話だわ。別の世界を見つけたら?…」

…と。
これって、辛すぎる。
切なすぎる(あ、痛っ)

y :
マベには、あなたにとって私はよそものなの?と言う気持ちですね。
二人の間に線を引くような、哀しいことは言わないで、と....。

二人のシーンと言えば、逢引きのバックに、打ち上げ花火がありました。
その恋は、一瞬、輝いてもすぐに散る、という暗示的効果だけでなく、
ここでは、それに加えて、花火をイヴォンが上げていたことがわかることで、
後ろめたさを、かもし出しました。
アントワーヌは、イヴォンへの申し訳なさから、ここを立ち去らざる得なくなる、と
いう展開を予想させました。

ラストで、娘は、自分はアントワーヌの子だと知ったのに、
動揺する様子は、ありませんでした。
むしろ、ドラマチックな結果なのに、衝撃でなく、
静かに『受容』しているようでした。
アントワーヌとイヴォンが並んで写っている写真を見つめる娘。
父は、アントワーヌの子だと知っていたのに私を可愛がってくれた。
そこには、驚愕というより、感動を覚えたのかもしれません。
写真のアントワーヌを、実の父だと知って見つめる
というのが自然かもしれませんが、
私は、むしろ、尊敬と感謝の気持ちで
『イヴォンをこそ見つめていた』と『思いたい』です。

r:
この作品は『願望の物語』である、と言いましたが、
憂える女性、耐え忍ぶ女性というのは、
たいていの男性にとっては原則的に美しく映る。
とにかくマベを演じたサンドリーヌ・ボネールが、抜群に良かったですね。
こと劇中での彼女のファッションの推移でも垣間見せる心情の変化も含めて。
彼女に魅力を感じるというより、
『囚われてしまう』
と、いった方がこの作品における
マベのファム・ファタール振りを際立たせるでしょうか。

y:
さては、マベに恋しましたね(笑)。

r:
この作品、ぶっちゃけ僕は、マベだけを観てれば良いかな、って感じです(笑)。

y:
え、それでまとめちゃう?(笑)

r:
はい、まとめちゃう(笑)


~・~・~・~



夫は、大切な存在だけれど、惹かれてしまう人がいる、
ということは、善悪で考えたら”不適切”なことでしょう。
しかし、動いてしまった心を止めるのも、なかなか難しいことのようです....。
かといって、誰かを愛するのに、後ろめたさを感じる、というのも辛いことです。


青年が去ったあと、マベは女の子を産みました。
マベ夫婦には、今まで子供がいませんでした。
マベを愛していた夫は、マベを苦しめたくない、むしろ、
”二人の”子供が授かったことを祝福しようと思っていたと思います。
そのような環境の中、マベは、心の奥底で、娘の面影から、
”若い彼”を感じながらも、夫と私の子、として育ててきたと思います。


真実を知りたい、知らせたい
本当のことを明らかにしたい、


世の中には、そのような考えも多いでしょう。
しかし、そのことに触れてはいけないこと、ということも
あるのかもしれません。
それは、”ごまかし”や”嘘”とも違うものです。


マベ夫婦は、口にすることでお互いを傷つけあうことはなかったと思われます。
それは、
受容し、包容するという”愛”が、
作品の序章と終幕に、登場させた娘を通して、
映像の向こう側にあることを
はっきりと、私たちに観せてくれたと思うからです。





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