過去に創作小説で使った登場人物の対話方式にて綴ります
人物の名称などに関しては
(わたし自身のネーミングセンスの関係で)
そのまま使いますが、
基本的には
「ランフィード=わたし自身」
「ガストン=聞き役」
だと思っていただいて結構です。


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ランフィード(以下ラン):
悪いが話に付き合ってくれ。
今回の話のメインは、
『自己愛性パーソナリティ障害(NPD)』だ。
俺自身も過去に診断を下された経験のある、
そんな病名なんだが、それに対して
持論を綴ってるページがあってな・・・・・・
それに対して言及しておきたいかなと

ガストン(以下ガス):
自己愛性パーソナリティ障害?
また聞き慣れない単語が出てきたな。
なんかキッカケでもあったのか?

ラン:
一応はある。
無形力DVに関して調べていたら、
自己愛性パーソナリティ障害がヒットした。
このページなんだけどね。
『自己愛性パーソナリティ障害を知る価値について』
https://note.com/_ego/n/n07477853b0ae
長いので引用文は出さないが、
『彼を知り己を知れば・・・』の格言通りかな?
アドラー心理学なんかでは曖昧なまま
『何があっても反発する人』とかいって
『切り捨てていた人物像』を掘り下げている。
分析している持論にたどり着いたのは
コレが初めてかもしれん。

ガス:
ぉ・・・・・・ぉぅ
引用文を出さないって言うが、
ソレを読めというのか?

ラン:
興味があるなら一度目を通すことをお勧め。
だけど『そんな話がある』って前提だけ
認識してくれればコッチで補足説明は入れる。
モラハラを行う人を中心に、
『なんだってそんな心理状態なのか?』
に関して解説しているから、
時間が有るなら読破するのがお勧め。
と、重ねて言っておくが、その結果として、
『間違っても相手に指摘したりしないで』
と言う結論に落ち着いているってことだけは
明言しとく必要がある。
対処法に関してはアドラーなんかと一緒で、
可及的速やかに距離を取り相手をしない。
ってのが結論になってる。
だから、アドラー心理学を実践できる人は
わざわざ見に行く必要は無いかなと思う。
アドラーって理由説明すっ飛ばして、
結論だけ論じる傾向が強いから、
その補完的な意味合いとしては価値がある。

ガス:
そうか。
アドラー心理学って難解だからなぁ・・・・・・
その辺を補完できるのなら、
時間とって読む価値はあるのかもな?

ラン:
そういうこった。
俺の持論で『自己中』とかレッテルを貼って
可及的速やかに距離を取って、
相手をしないのが最善だよと言ってたが
そのレッテル貼りにNPDを出されたって話。
そう解釈してもらって良いよ。
医師のブログじゃなくて素人の意見だし、
その点で言えば俺の持論と変わらん。

ガス:
あ、そういうことか。
素人の意見を参考にするのは参考程度で
それ以上が必要なら専門家に相談しろって
そういう話になるんよな?

ラン:
あ、結論を先に言われた(爆笑)
俺自身、過去に診断されたことのある病名。
だから当時は調べてみたりもしたが、
俺自身の話と言うよりも、
親やら『自己中で我儘な人』が数人浮かんだ
前の日記で綴った『無形力によるDV』の
加害者が該当してると思ってくれて良いが、
『俺の持論』としては
『精神疾患は保護(障害年金)の対象』
だから彼らに病名を付与する必要は無い。
ってのがFA(ファイナルアンサー)になる。
NPDが障害年金の対象外だと断言できるなら
レッテル貼りに使っても良いんだけど、
俺の中では『自己中』で十分だと思ってる。
「自己中」と云う【毒】への対処(過去ブログ)
ただ、自己中と言うには『病的』なんで
病名というレッテルを貼りたいという
その気持ちは理解できるカナと。

ガス:
あぁ・・・・・・確かに。
自己中と呼ぶのも中途半端な気はしてるが
病名有った方が腑に落ちるのかもしれん。

ラン:
うん。そうだね。
レッテル貼りをするなら『病名』の方が
スッキリするような気がするから、
それ自体は否定しないんだけど・・・・・・
『無意識』が原因だったってのは、
俺に言わせれば盲点だったかな。
『確信犯的に感じる人物もいた』から
その視点が見事に抜け落ちていたのはある。
言語化できたって事が何よりの成果だし、
ソコは『認めておく必要がある』カナと思う。
ただ、ソコの部分が言語化できたとしても
『相手をせず可及的速やかに距離を取り』
可能なら縁を切るのが最善策だって結論は
全くぶれてないのが面白いところだ。
アドラー心理学とかではその辺の言語化が
不十分で『結論だけ』にたどり着いてるから
今回の話は『言語化による補完』として
優秀なんだけど結論にたどり着いていて、
そこに疑問のなかった人にとっては
蛇足とまでは言わんが価値が薄いかなと。
アドラーは経験則で結論にたどり着いていて
理論の言語化が不十分だと感じていたが、
そういう意味ではアドラー心理学も
まだまだ研究の余地が残ってると思うし、
俺の持論も改善の余地はあると思ってる。
最後の最後まで残るのは
今の日本では(法律的に)親子絶縁が不可
っていう問題にぶち当たるんだけど、
ソコに関しては専門家と相談してくる。
15歳以下なら特別養子縁組って手も有るが
成人してるとその手も使えないし、
分籍した上で改名するとかかなぁ?
そこまで行くと後戻りが出来ないから、
慎重に事を進める必要があるけど、
『毒のある人物』をどうにかしたい。
ってのは強く訴える必要があるかな?

ガス:
あ、そこで質問なんだが、
『相手をどうにかしたい』ってのに
相手の方が変わるってのがないのは何でだ?

ラン:
俺の過去ブログでは何度か言ってるけど、
『相手をどうにかする』ってのは、
言葉を選ばずに言うと『強要』になる。
だから禁忌にしてるってのがFAだな。
そうやって選択肢から外しているんで、
消去法的に『自分が変わる』必要がある。
ソコは理解してもらえるかな?

ガス:
あぁ・・・・・・そういうことか。
おまえ、その辺は融通が利かないというか
頑固と言いたくなるわりに、
諦めが良すぎるとも言えるんだが、
相手に期待してないよなぁ?
そこまでするほどの内容なのか?

ラン:
俺としては後戻りできなくても
『自分が変わる必要がある』と感じてるし
経済的にも今のままで良いとは思っていない。
その辺を総合的に判断すると、
『まず毒親とは可能な限り縁を薄くする』
必要があると思ってるし、
ソレを達成した上で経済的に自立する方法を
何かしら模索しなきゃならんと思ってる。
順番としては逆に出来ないかな?
今の状態のまま俺が経済的に復活したら
また依存されるから、
『縁を切る方が先』になるのは固定で。
そういう意味では・・・・・・
自己中とかNPDとかじゃなくて共依存と
一言で纏めてしまっても良いかと思うが、
ソレは依存症で苦しんでいる人達に対して
失礼な話になるし一緒にしたらアカン。
レッテルは貼りたいんだが、
その名称をどうするかは悩ましいところだな。
だから俺は自己中って呼んでる。
どっちにしろ持論を語るときくらいしか
そのレッテル使わんのだし、
相手が変わることを諦めているんだから
共通認識が無くてもしょうが無いかなと。
被害者の会とかを立ち上げるならともかく
そうでないなら呼称は脇に置ける問題だ。

ガス:
そういう問題もあるな。
呼称が固定されない理由が判った。
最近はブログの頻度も減っていたけど、
その辺はどうするんだ?
このまま消えていくつもりか?

ラン:
ん~・・・・・・まだ迷ってる。
公言できないことが増えてくるから
筆が重くなってるのは確かなんだけど、
オタ活の方の日記はその気になれば
まだまだ書けるんだよな。
だから日記のテーマが
メンタルヘルスから外れるかも?
だけど、
過去ログ含めてブログ自体は残す。
最悪の場合更新しないまま放置だけど、
消すことはないかなぁ
今回の話はこの辺で終わろう。
話に付き合ってくれてありがとうな。


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今回の話は無形力によるDVを調べていたら
たどり着いた話題が切っ掛けですが、
言語化できたってのは大きな変化でした。

このような話にお付き合いくださり、
誠にありがとうございます。