自身の考えをまとめる意味でも、日記にして公表しておきます。


さて・・・精神疾患を患ってる方には毛嫌いするような四字熟語かな?
ただ、以下に述べる「私の解釈」が無ければ、わたしも嫌いです(笑)


「滅私奉公は自分から行うモノで、他者に要求してはならない」

ついでに言及すると「空気を読む」も同様に自発的に行うべきです。

あと「精神的自立」はアドラー心理学の著書「幸せになる勇気」から抜粋すると、

『自己中心性からの脱却』です。

もうちょっと付け足しておくと
「すべての人間は過剰なまでの自己中心性から出発する。そうでなくては生きていけない」
とも語られています。

・・・ただ、私の解釈としては「人類のみならず哺乳類すべて」がそうだと思います。
いわゆる「子育てを必須とする種族全て」がそうだと解釈しています。


そして、滅私奉公を分解して考えます。

まず滅私ですが・・・
「滅するべきは「私利私欲などの自己中心性」のみです。
人としての尊厳や捨ててはいけないモノまで滅せよとは言いません。

※他人に強要する人の大半はそういう部分にまで踏み込みますが「自発的」に行うべきです。
「他発的に起すよう仕向ける」に関して、唯一許容できるのが「自身が示す」のみです。

それ以外の全て・・・他者への働きかけは「強要」と解釈します。


そして、奉公ですが、
「自分を含む公(=全体)」です。

著書「幸せになる勇気」の中では、この点を
「世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない」
こう綴っています。

そして、「主語を「わたし」から「わたし達」にかえる」とも。

コレも自発的に行うべき内容ですが、「公の解釈」が上記なら宣言は不要です。
自分から示さずに『奉公』と唱えても説得力はないからです。

 ただ、戦前までは上記の四字熟語を間違って運用されていた時期も有ります。
「お国のために」と云う大義名分のもと「個性を含む私を滅せよ」と。
・・・・・・
 わたしは上記の考え方は「強要」だと解釈していますし、
『奉公』や『空気を読む』を他者に要求する人は
『自己中心性から脱却できない人』
と評価します。

また、以下の例は「戦時中の憲兵の悪い(間違った?)イメージ」ですが・・・
「力を背景にした要求」と云うのは脅迫以外の何物でもないと断言します。

 そのような方が現代にもいらっしゃいますが・・・
わたしとしては「私にも私の周囲の大事な人にも干渉して欲しくない」です。


ただ単に自己中心性を引き摺ったままの人は「三歳児のワガママ」が抜けないだけです。
そのような未熟な人まで犯罪者と呼びたくはないですが・・・
(評価としては未熟者(未熟なままの大人)です)


しかし、上記に挙げた「悪いイメージの憲兵」の様に、
「力を濫用してまでそれを実行」するのであれば・・・
本人に自覚があるのかどうか疑問ですが、
それは著しい人権侵害であるというのが私の解釈です。

 そのような言動は慎んでいただけると幸いですが、
私の助言を聞き入れる事が無いままに他者へ干渉するのであれば「確信犯」と断定します。


『滅私奉公』や『空気を読むこと』を他人に要求する方へ質問します。


『あなた自身がそれを実践できていますか?』

この言葉を返されて『カチンとくる』方は今後、その言葉を封印することをお勧めします。

正直に言うと、私自身「実践できているかどうか?」は自己評価できません。
実践するよう努力していますが「評価するのは自身ではなく他者」です。

 わたしの自己評価を他人がどう思うのかは、さほど意味が無いです。
本人が自身の意思で下した評価が「その人本人の判断」です。

 なので、その点は他者に干渉するつもりはないです。
しかし、他者からの評価は参考にはしますが、それに振り回されたくもないです。


「実践できていない」と言われたとしても、その方からの要求が
無理難題や自己中心性による要求と「わたしが解釈」した場合には、遮断します。

それ以上は介入しないで頂きたいです。


 文中にきつい表現が散見しているかと思いますが、
今の心理状況を含めた記録としてこのまま挙げます。
・・・問題点を指摘していただければ訂正なども考慮します。

このような乱文に最後までお付き合いくださりありがとうございます。