50歳からのサーフィンライフ 

50歳からのサーフィンライフ 

50歳にして27年振りにサーフィン再開「20代の頃よりウマくなる!」を旗印にショートボードにしがみついております。スポーツなど無縁だった肉体は甦るのか?海で悶え苦しむ日々を送る初老サーファーの明日はどっちだ! 私、63歳から大成功します。たぶん

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昨日、湘南で久しぶりにサーフィン。

湘南でやるのは、1月14日以来か。

 

 

ずっと工事中だった「松波地下道」

 

すごい綺麗になっていた。

 

 

波はないし、オンショア強い。

 

 

ビーチ、地形が変わってた。

 

砂が凄まじく積もってる。

 

 

昼は暖かったから、

 

「ウエットはなにを着れば良いのか?」

 

先日、知人がInstagramで、

 

「鹿島でもジャーフルで大丈夫」

 

とか投稿していた。

 

でも、私は、真冬と同じ格好で。

 

ブーツも履いてみる。

 

 

波は、アウトで割れて、すぐに消える。

 

して、インサイドでドカンと割れる。

 

アウトに1人だけいる。

 

サイクリングロードに停めてあるチャリンコと、

 

遠目で見える姿をみて、多分、知人だと思われる。

 

その人、なんと、

 

ウエット「ショートジョン」でやってる!

 

ばんばん、テイクオフしてるがほとんど走れない。

 

しかし、ショートジョン。

 

ばんばん乗り具合がすごくて、

 

「彼はアスリートだ」

 

と思わされました。

 

 

私は、インサイドのドカンに行く。

 

人はいない。

 

海に入るのも、2月26日以来?

 

というか、今年、3回しか海入ってないし、

 

ほとんどやってない、に等しい。

 

パドリング、最初やり出したら、

 

「あら、普通にできるな」

 

と思ったのですが、

 

 

な、わけないよな。

 

でも、、、ま、再出発しまして、

 

 

「次に繋がると信じたい」

 

と、私、何年、何回、言い続けてるんでしょうか。

 

諦めず、やり出します。

 

 

 

 

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仕事しても仕事しても、

 

人並みに稼げない、64歳の今。

 

サーフィンする気力もわかず、

稼げない仕事しかしていない日々でございます。

 

その日暮らしのような毎日でして、そんな、

2月に、キッチンカー、売却しました。

 

お金作らないとならなかったんです。

 

諸々、支払いが滞っておりまして。

 

 

と言っても、

 

お店とキッチンカー、

 

スタッフが充実しておれば、

 

両輪で稼げたかもしれないんですが、

 

なかなかそううまくいく話でもないのが現実。

 

 

ですが、私、キッチンカーだけの話で言うと、

 

「藤沢キッチンカー事業組合」

 

に所属させていただき、

 

相当、稼がせていただきました。

 

「藤沢キッチンカー組合」

 

「最強」(ウマい仕事がたくさんある)

 

でして、横浜とか東京、小田原でキッチンカーやってる人たち、

 

みんな「仲間に入れさせてください」と言ってくるんですが、

 

「藤沢在住」のものしか受け入れてくれないんです。

 

しかし、私が加入したときは、

 

所属キッチンカー、25台から30台弱だったのが、

 

今は、多分、80台くらいになってる。

 

仕事の奪い合いになってきました。

 

 

ということで、私はもう店に専念しようと考えました。

 

64歳で両方はキツいです。

 

借金は「店」で返すしかないです。

 

やれやれ、です。

 

 

 

 

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私、確か、2005年くらいに、

 

どうしても離婚したく、

 

子供たちを残し、

 

家を「着の身着のまま」同然で出ました。

 

先日、息子が家を出たのを良いことに、

 

その家に上がり込みにいきました。

 

もちろん、家主の許可を得て。(元妻)

 

昔のサーフィン雑誌を全て取り返したくて。

 

「サーフィン・クラシック」「サーフィン・ワールド」「サーフマガジン」

 

読み返したいです。

 

で、行ってみてビックリ仰天したのは、

 

本、雑誌類の、その凄まじい量。

 

押し入れに突っ込まれている段ボールを

 

しらみつぶしに探しまくったのですが、

 

なんと、サーフィン雑誌類が見つかったのは、

 

「最後のダンボール」

 

だもんで、全ての段ボールの中身が把握できる結果となりました。

 

凄まじい量の、小説、料理本、音楽雑誌、でした。

 

「あ〜、こんなのもあったなぁ」連発でして、

 

何冊かの小説を持ち帰り、読みました。

 

 

こんなのすっかり忘れていたんですが、

 

速攻で読み返しました。

 

読み返しても、内容、全く思い出せなかったです。

 

初めて読むもののようでした。

 

 

これは違います。

 

ずっと大切に家に保管していたものです。

 

中身も素晴らしいけど、表紙の、江口寿史先生のこの絵。

 

捨てられるわけないです。

 

私、人生、悔い改めまして、

文学に残りの生涯をかけることにしました。

 

なんちゃって

 

 

 

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姪っ子から

 

「ボブ・ディランに興味があってもなくても観たほうが良いよ!」

 

と彼女にしてはアツいLINEが来たので、観に行ってきた。

 

 

私、今も毎日、通勤の小1時間は音楽聴いています。

 

主に、’60、’70、’80の頃の、

 

「ソウル」「ロック」「R&B」「ジャズ」「歌謡曲」「演歌」

 

を聴いています。

 

ボブ・ディランが表舞台に出てきた時期ですね。

 

彼の複数アルバムの音源も当然持っています。

 

ですが、私、昔から今も、

 

ボブ・ディランには全く興味ないです。

 

というか、彼のアルバム、通して聴いたことないです。

 

聴き出しても、途中で、

 

「ダサいなぁ」

と思って聴き続けられない。

 

たまに、自分で作ったコンピレーションに自分で入れた、

 

「ライク・ア・ローリン・ストーン」と

「ハリケーン」

 

だけ聴きます。

 

映画はそれなりに面白かったです。

 

主演のボブ・ディラン役の俳優はかなりの手練れでした。

 

映画が始まった直後から、頭の中には、

 

桑田佳祐さんが昔出した本、

 

「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」

 

がグルングルンと回っていた。

 

それと、

 

マイルス・デイビスのアルバム「ビッチズ・ブルー」

のこともグルングルンとしてた。

 

「あの時代、ロックを避けることはできなかったんだなぁ」

 

と。

 

 

当然、「IMAX」で観ました。

 

素晴らしい音でした。

 

そういえば、

 

ボブ・ディランといえば、

 

ガロの「学生街の喫茶店」ですよね。

ひと月ほど前の、伊豆白浜でのサーフィン、

 

カタ、アタマくらいの凄まじい「ギロチンダンパー」

 

に木端みじんにやっつけられて、

 

「もう伊豆なんて来るもんか」

 

と強く思ったのですが、、、また来ちゃいました。

 

 

なんてったって、この美しさには抗えません。

 

 

この綺麗さには。

 

 

というか、

 

私、現在もとてつもなくストレスまみれで、

 

長距離の「ドライブ」 

 

長い距離を運転することが1番のストレス解消法なんです。

 

サーフィンはおまけみたいなもんです。笑

 

と言いましても、

 

 

今回の白浜の波、

 

 

例によって、基本ダンパーなんですが、

 

たまに珍しいキレたライトの波がありました。

 

サイズも「Windy」の風予報が、朝早くまで、

 

北東風でして、その後、西、して、南西になるという、

 

「白浜、風合うし、朝までの北東風でうねりあるな」

 

という予測が、またもバッチリあいまして、

 

 

たまに来る、ライトのセットを「独り占め」していた、

 

おじさんがいまして、その方、

 

ロングライド連発しまくっていました。

 

良い波でした。

 

私は、例によって、

 

ボードが走り出すとすぐに

 

「左の足を前に出すんだ!」

 

と自分に指図しまして、なんとか乗れました。

 

 

河津町の河津桜、こんなんでした。

 

「河津桜祭り」のところはまだ全然でしたね。

 

私は、引き続き、

 

精進を増し増しにするよう考えます。