社員各位

お疲れ様。
昨日、元同僚の訃報を聞きました。死因は、自殺だそうです。

彼を思うというよりも、彼がきっかけで、
自殺で人生を終わらせるという行為にふと思うことが
あったので書き留めます。

前置きで、彼を批判しているのではないのであしからず。

最近、私はたった一人で会社を立ち上げてから特に強く
感じることがある。

人生というのは、たった1枚しかない本当に真っ白で貴重な
キャンパスである。

そのキャンパスの大きさは、人や国、会社、組織、時代、宗教
様々な要因で、大きくなったり小さくなったりするものである。

たとえば国、一番GDPが低い国の一つであるバングラデシュ
と日本を比べてみると、生まれた瞬間からキャンパスの大きさが
違う。たまたま生まれた場所が違っただけで。

バングラデシュの若者は、その日の食べるものを得るために
労働し腹を満たし、歌い踊り、語り合い日々の満足度を得る。

一方、日本の若者は、自分の生活する場所は保証され、
1日生きるご飯すら保証される。

彼らは、親からお小遣いを得て、またはバイトをし、携帯代や
好きなCD、ゲームを買って日々の満足度を得る。

実に、日本で生まれた人間のキャンパスの大きいことか。

しかし、人生というキャンパスは、小さいから不幸なのか
大きいから幸せなのか、この尺度はあっているとは思わない。

バングラデシュの若者は、毎日辛い人生を送っているのか?
日本人は、毎日楽しい人生を送っているのか?

いわずもがな、日本は世界有数の自殺大国である。

では、幸せな人生とは何か。

私なりの見解を示す。

キャンパスの描き方なのだと思う。

不幸な人間は、描きたい絵は何なのかわからない。
だから立ち止まる。絵を描いてみるも、どうもうまく描けない
どうしよう。もうこの線が消せないないな・・・。
悩んで立ち止まる。誰も助けてといえない。ふさぎ込む。

人生のキャンパスの描き方にルールはないのに、
自らルールを設けてしまうのである。

こういう風潮が、日本には個人・社会問わずあるのではないか。
そうも感じる。

結局、たった1枚しかない本当に真っ白で貴重な人生の
キャンパスに1本の線しか描けずに自ら命を絶つ。

自殺とはそういうものだと、私自身はそうとらえている。

ではいったいどうすればよいか。

自分はどういう絵を描きたいのか。日々一生懸命考え、
一生懸命描いてみる。失敗してもいいから、描いてみる。
何度も何度も、自問自答し、何度も何度も繰り返す。

そうすることで、自分の描きたい絵がイメージでき
死ぬ間際になって、真っ白なキャンパスにすばらしい絵が
かけたぞ!と思ってこそが、最高の人生の終わらせ方なの
だと私は確信する。

最後に、私の人生のキャンパスは今後、どう描きたいのか
を示す。

私は30歳手前で、まずキャンパスの制限をまず取っ払った。
つまり、会社という枠を取っ払ったのだ。

会社という枠は、人生のキャンパスに取ってかなり大きさが
決められる。これが窮屈でたまらなかった。つまらなかった。

まず、枠を取っ払った。

今度は、限りなくキャンパスを大きくしようと思った。

今も、どんどん大きくしている。

自分1人では、決して描けないに決まっている。
でも私は、悩むことはない。立ち止まりもしない。

なぜならば、大きくなりすぎた私の人生のキャンパスに、
気の合う仲間達と一緒に描くんだ!

自分一人で描くのには、大きすぎる!!
だから、みんなに頼み込んで、どげざしてもいい。
描いてもらうんだ。

そう思って、人生を謳歌する。
最高の人生の終わらせ方を迎えるために。

それだけ。

難しく考えない。

シンプル。

視界良好。

迷いなし。

以上
最近、熟々思うことがある。(数年前から思ってはいたが、最近は特に強く思う)

「努力」という言葉についてである。

俺の辞書には一人称単数で使う「努力」という言葉は、存在しない。
あくまで使用する際は、二人称以下である。

そもそも「努力」とは、他人に対していう言葉であって自分自身が何かに対して努力していますということは、まずない。

自分のやること、やりたいこと、目指すこと、達成すべき事、向かいたい道が明確にある場合、その達成に向けて直向きに走り続ける。邁進する。

これは、当然であって徹底的にやるべきであって、「努力」してやるものではない。
「努力」なんてして当然であって、「努力」以上のものを注ぐのである。
「努力」してやらなければ達成出来ないものであれば、やめた方がいい。
おそらく、そこまで欲していない事象だと思う。

決して「努力」だけに留まってはいけないと思う。

自分のやること、やりたいこと、目指すこと、達成すべき事に、「努力」という概念が存在したのであれば、すごくマイナスのイメージが俺にはつきまとう。

「努力」という言葉に逃げ道はないのか。

「その件につきましては、努力しています。」

「達成するよう努力します。」

「精一杯努力して、達成しました。」

「努力」が主体性を持っているような感がある。

目指すは、達成であって努力ではない。

達成が最終目標であり、言ってしまえば「努力」なく達成出来る方法が最良である。

よって、「努力」だけで物事を終わらせてはならない。「努力」という言葉に意識を傾けてはいけない。

熟々、最近そう強く思うようになった。
今日は、口の周りにニキビのようなポツポツが出てきたので皮膚科に行ってきた。
どうもヘルペスらしい・・・。体調が良くないときに、よくなる病気だと。

まぁ、最近不摂生だからな。でも、忙しいんだから仕方がない。

さて最近、帝国データバンクから急な訪問がありポストに是非連絡をくださいとのメモ書きがあった。

どうも、リンクプラスの会社情報を入手したいらしい。

今時点で、帝国データバンクに情報を載せても、あまりメリットはないなと思い、そのまま放置していた。

その後、2度3度電話までかかってきたので、しぶしぶ教えられる限りで会社の情報を伝えた。

う~ん、どっかの会社がリンクプラスの調査を帝国データバンクに依頼したのかな?

営業マンに、そう伝えてもあくまで帝国データバンクが知りたいの一点張り。

ホントかなぁ。





今日は、顧問税理士と2時間ほど話し混んだ。

なかでも、資金調達について。

俺は経営者としては、4年生でまだまだ未熟。

起業した当初は銀行からお金を借りることが、もっとも一般的な資金調達方法だと思っていた。

が、最近は違う。それ相応の明確な理由がない限り、資金調達はするべきではない。
(まぁ、事業形態によって勝手は違う)

少なくとも先行投資が必要のないプロモーション会社は、銀行の資金調達はすべきではない。

そういままで思っていた中での顧問税理士の一言が響いた。

「身の丈にあった会社運営をしないと、創意工夫は生まれない」

全くそうだと思う。

事業自体、うまくいっていない中で借金したキャッシュに頼って手探りで何かやろうという気持ちがそもそも駄目。(儲かっている、お金があるという幻想をいだいてしまう)

お金がない中で、必死に考えぬいて出てきたアイディアサービス程、良いものはない。

今の経営者4年生レベルでは、そう実感している。

常に背水の陣であるべきである。ベンチャー企業というものは。