「桐の花」第三百六首 泣かむとし赤き硝子に背を向けつ夕は迫る窓の内部に | 現代短歌とともに

「桐の花」第三百六首 泣かむとし赤き硝子に背を向けつ夕は迫る窓の内部に

「桐の花」第三百六首
第九章「白き露台」第十三首
小題「夜を待つ人」二の第一首

泣かむとし赤き硝子に背を向けつ夕(ゆふべ)は迫る窓の内部(うちら)に

いつしかと身は窗掛に置く塵の白きがごとも物さびてける

 当「夜を待つ人」二の二首は、前首「やはらかに赤き毛糸をたぐるとき夕とどろきの遠くきこゆる」を受けている。ややこしいのは「大逆事件」を題材としているからだろう。

  当歌の夕(ゆふべ)は、前歌の「夕とどろき」を取り、本歌が新撰六帖(1244頃)一「〈藤原信実〉」の

 帰るさの家路に急ぐ市に出てゆふとどろきの民の声かな
 
夕轟(読み)ゆうとどろき
ゆうとどろき ゆふ‥
精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙
① 夕方、どこからともなく物音などが騒がしく聞こえること。また、その物音。

 白秋、「ゆふとどろきの民の声」を伝えたかった。

 発句「泣かむとし」は、啄木の歌「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに」を受けている。

赤き硝子、啄木の歌より、

さびしきは色にしたしまぬ目のゆゑと赤き花など買はせけるかな
すずしげに 飾り立てたる硝子屋(ガラスや)の 前にながめし夏の夜の月

 啄木ひ思い出と柳河の思ひ出が「夜を待つ人」の白秋か、

ただ偶々(たま/\)に東京がへりの若い齒科醫がその窓の障子に氣まぐれな紅い硝子を入れただけのことで、何時しか屋根に薊の咲いた古い旅籠屋にほんの商用向の旅人が殆ど泊つたけはひも見せないで立つて了ふ。

春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕

 白秋の、夕焼け小焼けも意味が深い。前の記事も参考に上げます。
「桐の花」
 第八章「植物園小品」講読三十六
 旧題「春の暗示」
 第五十四行

 小石踏みつつ後を通る紳士の右の手にもてる新聞紙の包はや薄青し。 

 当行、末句「はや薄青し」、季語無しだから、和歌風自由律。

 小石踏みつつ、小石を踏みながら、参考歌

 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 俊子を帰す時の歌、舗石が小石のこと、植物園では砂利道なのだろう。砂利道とは、雨が降ってもくつが汚れないように小石を敷いた舗道のこと。
 紳士は、歩き難いから踏みつつ歩む。
 後(うしろ)を通る、白秋の後ろ、参考歌

 大鴉一羽渚に黙(もだ)ふかしうしろにうごく漣(さざなみ)の列
      雲母集

 前行で、白秋は鐘の音を聴いていた。その後ろを通って行く。

 白秋の脳裏に浮かぶものは、紳士の右の手にもてる新聞紙の包。

 新聞紙の包とは、新聞紙の束ではない、新聞紙で包んだ物、極めて抽象的だ。でも、新聞紙には活字で文字が印刷されている。

 はや薄青し、すでに薄青色になっている。本歌 
初夏晩春
  「公園のひととき」一

 手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ 
  
 この年の大事件は大逆事件であった。共産主義者が弾圧された。幸徳秋水、白秋の秋が気になる。白秋も予感したのだろう。後、「文芸の汚辱者」 との痛烈な誹りを受けることになるのだから。

 白秋は「詩とは暗示」と言い 正に「春の暗示」を予感した。以上

1910年(明治43年)5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、1911年(明治44年)1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名が、1月25日に管野が処刑された。布施柑治によると、秋水は審理終盤に「一人の証人調べさえもしないで判決を下そうとする暗黒な公判を恥じよ」と陳述した。

 この歌も、幸徳秋水を悲しんだ歌なのだろう。「初夏晩春」と逮捕と時期もあっている。
 平民運動を唱えたから殺される。列強政府に立ち向かうためには許されなかったのだろう。

 訳の分からない、迷文でありますが、ランボーを白秋が愛したならばありうることでしょう。白秋の笑顔を見ていると、まだまだあるよとほほ笑んでいます。