ゆたかの「愛天愛人愛国」ブログ

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〜 神様ありがとうございます! 神様愛してます! 〜

ようこそ、ご訪問いただき、誠にありがとうございます。
このブログでは、
神様と、真の父母である文鮮明・韓鶴子ご夫妻を証しし、
我が愛する日本や世界についても述べてみたいと思います。

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「何か、今の日本のような状況みたい?!」と感じたのは、私だけかな〜。(ゆたか)


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『神様は神秘的に働き給う』


民主党のドナルド・M・フレーザー下院議員(その直後の上院議員選挙で落選)を委員長とする米国下院国際機関小委員会(1977年〜)、いわゆる「フレーザー委員会」における朴普煕博士(文鮮明師特別補佐官)の証言映像です。


ドナルド・M・ フレーザー委員長は米国憲法で保障された宗教・結社の自由や証拠提出に関する慣例を無視し、米国で急速に知名度を上げてきた統一教会を激しく糾弾。

これを足がかりとして名声を得ることにより、上院議員選挙での当選を企図していました。


この告発に対して、文鮮明師の特別補佐官であった朴普熙博士は「真実」を明らかにするため、国会で証言を行いました。

それにより、フレーザー議員の隠された動機と、統一教会の真実が明らかになったのです。

(アメリカに亡命した元ポーランドの諜報工作員ヤヌス・コハンスキー氏による宣誓証言で、フレーザー下院議員がアメリカ国会におけるソ連のために働く影響力のある工作員であると証言。

また、フレーザー議員が「人権」という煙幕をはって、社会主義労働者党など共産主義に賛同する団体を支持し、反共の国や市民を密かに迫害してきたこと。

この委員会が、韓国の不法行為を調査するために34ヶ月と60万ドルを費やす一方で、歴史上類を見ない人権問題であるカンボジアの(200万人とも言われる)大量虐殺事件にはたったの1日半の調査時間しか費やしていないこと、1978年2月6日のタイム誌にソ連KGBの成長と活動範囲について報道されているが、アメリカにおけるKGBの活動に対する調査のためには1セントも使っていないことなどが明らかに。フレーザー下院議員は名声を得るどころか、正体が判明し、直後の上院議員選挙で落選。)


朴博士の勇気ある証言が、アメリ力に宗教自由の道を保障し、世界的リーダー国家として正しい道を選択させる契機となったのです。

原題「The Truth is My Sword (真実は私の剣)」というこの証言フィルムは、太陽が昇るとき暗闇が消え去るように、虚偽の暗闇の前に「真実」は何よりも力強いことを教えてくれます。


朴普熙(パク・ボーヒ)

1930年大韓民国 忠清南道に生まれる。

1950年陸軍士官学校入学直後、韓国動乱勃発で最前線へ。

九死に一生を得、神が生きていることを体験し、信仰の世界に入る。

1961年駐米韓国大使館付武官として勤務しつつ米国東部担当の宣教師を務め、ワシントン教会設立。

以来38年間、文鮮明師の特別補佐官として働くと共に、ワシントンタイムズ社初代社長として10年間世界最強の新聞を作り続け、共産主義を崩壊に導く。


日本のため、世界のために尽くし、

まわりの人々に温かく、

心を配り、優しさを降り注いだ

安倍元首相を失ったことが、

非常に口惜しく、

深い哀しみと、寂しさを覚えます。


以下は、

安倍元首相「国葬」 

菅前首相 追悼の辞【全文】です。



(NHKニュース2022年9月27日 16時23分より)


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安倍元総理大臣の「国葬」で、菅前総理大臣が友人代表として追悼の辞を述べました。

以下、その全文です。


菅前首相 追悼の辞

7月の、8日でした。


信じられない一報を耳にし、

とにかく一命をとりとめてほしい

あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい


その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。


あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。


あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。


季節は、歩みを進めます。


あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。


天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。


口惜しくてなりません。


哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。


しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。


ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

20代、30代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。


総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。


そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。

これが、あなたの口癖でした。


次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。


いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。


平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。


私は、当選まだ2回の議員でしたが、

「草の根の国民に届くならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。


すると、記事を見たあなたは、

「会いたい」と、電話をかけてくれました。


「菅さんの言っていることは正しい

北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」

と、そういうお話でした。


信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。


その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。

この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、

確信をしたのであります。


私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。


総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。


最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。


3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。

私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。


総理が官邸にいるときは、欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。

いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。


TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。


一歩後退すると、勢いを失う。

前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった


安倍総理。

日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法一連の平和安全法制改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。


どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。

あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。


国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。


そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった

いつも、まわりの人たちに心を配り優しさを降り注いだ


総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。

私は本当に幸せでした


私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。

安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。


衆議院第1議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました。

岡義武著『山県有朋』です。


ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。

そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。


しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ故人を偲んで詠んだ歌でありました。


総理、いま、この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。


かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。


どうか安らかに、お休みください。


令和4年9月27日 前内閣総理大臣、菅義偉

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ご参考)








 

安倍元首相「国葬」一般向け献花

3キロ以上にわたって列が続く


生前、日本や世界のために
多大なる貢献をされ
多くの方々に慕われた安倍元首相の
人望、人徳のあらわれ
ともいえます。

昨今のマスコミ報道等は、
実は本当の実態を
あらわしていないのではないかと
多くの人は思ったのではないでしょうか。


ご参考)


(出典:NHKニュース)

2022年9月27日 19時03分 国葬


安倍元総理大臣の「国葬」の会場、

東京 千代田区の日本武道館に程近い九段坂公園には、

一般向けの献花台が設けられています。

多くの人が訪れていることから、

当初の終了予定時刻の午後4時以降も受け付けが続けられることになりました。


安倍元総理大臣の「国葬」が行われている東京・千代田区の日本武道館近くでは一般向けの献花台に訪れた人の列が3キロ以上にわたって続きました。


人の列は、献花台の置かれた東京・千代田区の九段坂公園から千鳥ヶ淵公園に沿って続きました。


そして、献花台からおよそ1.5キロのところにある半蔵門の交差点付近で

▽半蔵門駅の方面に折り返す列と

▽新宿区の四ツ谷駅の方面に続く列に分かれ、さらに長く続いていました。


列は▽四ツ谷駅への方面では献花台から最後尾までの距離が3キロ以上となっていたほか、

▽半蔵門駅の近くに続く列では午後5時をすぎても最後尾に並ぶ人の姿が見られました。


小学5年生の息子と一緒に列の最後尾に並んだ都内に住む50代の男性は、

「ずっと日本のトップとして仕事をしてくれてお世話になった人で、

息子も来たいということだったので、長い行列に並ぶことは分かっていましたが、感謝の思いを伝えに来ました」と話していました。


内閣府のツイッターの公式アカウントによりますと、

午後2時現在で、少なく見積もっても献花まで3時間以上かかる見込みで、

午後5時以降は列に並ぶことはできないということです。


午前中から多くの人が 

安倍元総理大臣の「国葬」の会場となった東京・千代田区の日本武道館に程近い九段坂公園には、一般向けの献花台が2台設けられました。


午前9時半ごろの献花の開始とともに、訪れた人たちは献花台の前に列を作り、自分の番がくると、安倍氏の遺影の前に花を手向け、静かに手を合わせていました。


献花は、当初は、午前10時から午後4時の予定でしたが、多くの人が訪れていることから、開始が30分ほど前倒しされたのに続いて、終了時刻も延長し、午後4時以降も受け付けが続けられることになりました。


愛知県から訪れた60代の女性は

難病を抱えながら激務を続け

国防や経済を支えてもらい

『今までありがとうございました』とお礼を言ってきました。

なぜ事件で亡くならなければならなかったのか、残念で仕方がないです」と話していました。


また、東京都内の50代の男性は

「これまで日本を引っ張ってきてくれた方なので、本当に感謝の気持ちで、手を合わせました。

外交をずいぶんやられて、

日本の国益と地位を高めた方だと思っています」と話していました。


四ツ谷駅近くまで長い列 “献花まで3時間以上” 


一般向けの献花台には、弔問に訪れた人で沿道に長い列ができています。


午後2時半の時点で、列の最後尾は献花台からおよそ3キロ離れた東京 新宿区の四ツ谷駅の近くまで続いていました。


弔問に訪れた人たちは、歩道の脇を花束などを持ちながら並び、現場の係員から献花台まで何時間かかるかわからないなどと説明を受けていました。


内閣府のツイッターの公式アカウントによりますと、午後2時現在、少なく見積もっても献花まで3時間以上かかる見込みで、午後5時以降は列に並ぶことはできないということです。


都内から訪れた50代の女性は「最初は献花台の近くに行きましたが、最後尾は四ツ谷だと聞いて電車で移動してきました。3時間待ちと言われましたが、まさかここまで並んでいるとは思いませんでした」と話していました。


また、50代の男性は「暑いので倒れないように気をつけながら並びたいと思います。ここから献花台まで歩くのは大変ですが、安倍元総理大臣への感謝の気持ちを伝えたいです」と話していました。


献花の行列 一時は地下鉄の駅構内にまで 



日本武道館の近くでは、一般向けの献花の行列が、一時は地下鉄の駅の構内にまで伸びていました。


午後3時前、東京メトロの半蔵門駅で撮影された画像では、改札の外にある通路に大勢の人が一列になって並んでいる様子が確認できます。


東京メトロによりますと、午後4時ごろまで構内に長い列ができましたが、現在は解消しているということです。

自民党本部の臨時献花台にも献花相次ぐ

九段坂公園に設けられた一般向けの献花台に多くの人が訪れて混雑していることを受けて、自民党は午後3時ごろ、東京 永田町の党本部の駐車場に臨時の献花台を設けました。


献花台には、九段坂公園に向かう途中に、SNSなどで自民党本部でも献花できると知ったという人たちが次々に訪れて、安倍氏の遺影に手を合わせ、中には、涙を流す人もいました。


都内に住む20歳の大学生は

「授業の合間に来ました。

総理大臣を長く務めた方なので、

重責を担い、本当にお疲れさまですという気持ちを込めて手を合わせました」

と話していました。


また、都内に住む61歳の男性は

外交や安全保障すばらしい実績を残したので、供養したいと思い来ました。

海外の元首や首相に会っても、ものおじしない態度など、これまでにいない、どこに出しても恥ずかしくないキャラクターだったのではないか。

長い間ご苦労さまでした。

ゆっくりお休みくださいと伝えたいです」と話していました。


自民党は、午後6時まで献花を受け付けることにしています。


生花店には花を求める人々


安倍元総理大臣の「国葬」が行われる日本武道館の近くの生花店では、一般向けの献花で手向ける花を買い求める人が次々と訪れています。


東京 千代田区の生花店では、近くで一般向けの献花台が設けられることから、キクやユリなどを中心とした献花用の花束が店頭に並べられました。


店には午前中から多くの客が訪れ、花束を買い求めていました。


店によりますと、ことし7月、安倍元総理大臣が亡くなった直後に自民党本部で献花台が設置された際は、多くの客が献花用の花を買いに訪れたということで、今回、「国葬」の実施に合わせて、キクやユリなどの白い花をふだんより3割ほど多く仕入れたということです。


生花店「フラワーシーズ」の本澤弘巳さんは「献花用の花束の予約もあって、通常より1時間早く店を開け、店員も3人から5人に増やして対応しています。午後にかけてもっと献花に訪れる人が増えると思うので、準備を進めています」と話していました。


献花のための花束を買った都内の大学に通う女子学生は

「子どものときから総理大臣は安倍さんしか知らず、『国葬』が行われることも人生で二度とないのではないかと思って献花することにしました」と話していました。


午前中から長い列 周辺では「国葬反対」の声も 


一般向けの献花台には、弔問に訪れた人で午前中から長い列ができています。


一方、周辺では「国葬」への反対を訴える人もいました。


「国葬」の会場となる日本武道館の近くに設けられた一般向けの献花台では、午前中から弔問に訪れた人たちが大勢訪れ、花束などを持ちながら沿道に長い列を作っていました。


最後尾は午前11時半の時点で、献花台から直線距離で1キロ余りの場所にまで続いていて、現場の係員によりますと、目測ではおよそ2時間待ちだということです。


一方、献花台の前では、「国葬反対」と書かれた紙を持ちながら反対の声をあげる人の姿もみられました。

「親しみを感じていた」という若者も

安倍元総理大臣への献花には若者の姿も多く見られ「子どものころから見てきて親しみを感じていた」という声があがっていました。


同志社大学3年生の木幡涼真さん(22)は、安倍元総理大臣の国葬が行われた27日、会場近くに設けられた献花台に訪れました。


木幡さんは中学時代の生徒会長選挙で、経済政策の「アベノミクス」になぞらえて自分の名字を組み込んだ「コワノミクス」と演説し、当選したといいます。


木幡さんは「子どものころから見てきた安倍さんは親しみを感じる存在で、最後のお別れをしたいと思って来ました。今回の事件をきっかけに政治の在り方について考える人もいるのではないか」と話していました。


イギリスの大学に通う堀口英利さん(24)も献花に訪れた1人です。


堀口さんは、安倍氏と同じ難病「潰瘍性大腸炎」を患った縁で、去年6月に安倍氏のフェイスブックのアカウントにメッセージを送り、以降、「難病を糧にする気持ちで頑張ってください」など、本人のアカウントから励ましのメッセージをもらっていたといいます。


事件の1か月前にもらった

「朝の来ない夜はありません」というメッセージを受け取った時は、

自分は一人ではないと思えたといいます。


堀口さんは

病気があっても頑張れるし活躍できると教えてくれた人でした。

国葬の賛否は個人の自由ですが、本当はみんなで送り出せたほうがよかった」と話していました。



(出典:Yahooニュース)


本日9月27日午後、安倍元総理大臣の「国葬」が

東京の日本武道館で行われます。


日本憲政における歴代最長の総理大臣として

日本を愛し、アジアと世界の平和のために

他の追随を許さないほどの

多大なる貢献をされた安倍晋三元首相。


以下は、そのお人柄とお考えの一端がわかる

動画です。


(出典:元内閣総理大臣 安倍晋三氏 卒業式スピーチ

「大切なことは失敗から立ち上がること」

 令和3年度近畿大学卒業式)




(出典:『希望の同盟へ』

米国連邦議会上下両院合同会議 安倍総理演説

―平成27年4月29日:首相官邸)

ご参考)


「失敗しても再チャレンジすることの大切さ」

「かつて敵同士だった国々が

 今や最良の友となることの素晴らしさ」

を教えてくれていると思います。


安倍元首相に心より感謝いたしますとともに

ご遺族の皆さまに心よりお悔やみを申し上げます。