参考動画)※統一運動とは関係のない外部の資料です。
ソ連建国の父 レーニンは【残虐な殺人鬼】 = 秘密警察を創設、目的のために手段を選ばず 反対派を虐殺
大粛正よりチーストカ(粛清)の始まり(1921年)
レーニンは1917年に国家保安機関・秘密警察
の反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会
(通称Cheka:チェカー)を設立。
チェカーは反革命分子を摘発し処刑した
赤色テロルを推進。
レーニンが存命中だった1921年夏以降、
「総粛清」「大量粛清」とよばれる
党員の行状の総点検は繰り返された。
1922年、チェカーは内務人民委員部の
国家政治保安部(GPU)として改組された。
1920年代初頭の飢餓の際のレーニンの秘密書簡
(岩上安身著・講談社1996年)より
ロシア共産党(ボルシェヴィキ)中央委員政治局員のためのV・M・モロトフへの手紙
極秘
写しは絶対にとらないこと。・・・
・・・
まさに今、飢えた地方では人を喰い、
道路には数千でなければ数百もの屍体が
ころがっているこの時こそ、
教会財産をいかなる抵抗にもひるむことなく、
力ずくで、容赦なく没収できる
(それ故、しなければならない)のです。
・・・
我々はいかなることがあっても、
教会財産を断固、早急に没収しなければなりません。
それによって数億ルーブル金貨の資金が確保できるのです。
(修道院や大寺院の膨大な財産を思い出してください。)
この資金がなくては
経済建設をはじめとする、いかなる国家的事業も、
またジェノアで自己の見解を貫き通すこともありえません。
ルーブル金貨数億(もしくは数十億)の資金を
手に入れることは是が非でも必要なのです。
それが守備よくできるのは今だけです。
状況を見てみると、後からでは成功しません。
・・・
ある賢明な作家が国家的問題に関して、
「一定の政治目的を達成するために
残酷な手段を必要とする場合は、
思いきった方法で、
きわめて短時間に行わなければならない。
残酷な手段を長期にわたって用いれば
大衆が耐えられないだろう」
と述べていますが、まったくそのとおりです。
・・・
今、反動宗教界に対する我々の勝利は
完全に約束されています。
・・・
それゆえ、私は、今こそ
極右聖職者たちに徹底的かつ容赦ない戦闘を挑み、
彼らが今後、数十年にわたって
忘れることのできないような
残虐な手段で
抵抗を鎮圧すべきだという、
疑う余地のない結論に達しました。
・・・
これを口実に
銃殺できる
反動聖職者と反動ブルジョアは
多ければ多いほどよい。
今こそ奴らに、以後数十年にわたって
いかなる抵抗も、
それを思うことさえ
不可能であると
教えてやらねばならない。
・・・
そしてこの委員会の存在は
絶対公表せず、
委員会指導下の作戦はすべて委員会の名によらず、
全ソビエトと全党の名において行なわれること。
富豪の大寺院、修道院、教会で
この措置を実行するときは特に
責任感の強い優秀な職員を配すること。
1922年3月19日
レーニン
同志モロトフへの依頼、この手紙を各政治局員から今日中に回覧し(写しはとらず)、
読了後、手紙の主旨に同意か反対かを書き込んで、ただちに秘書に戻すよう、
とりはかってください。
ご参考)